その状況を何のせいとするか?個人の責任派とシステムが悪い派について

こんにちは。
最近はゆっくり過ごす期間として、本を読んだりして過ごしています。

数年間積ん読していた本を消化しているのですが、その中に『隷属なき道』という本がありました。とても良い本でした。

読んでいて思ったのですが、やっぱり自分は経済学にルーツがあるんだなぁ…と。
全く勉強していないにも関わらず、ハイエクやケインズの名前が出てきて「あぁ…懐かしいな」 と少しホッとするような感情がありました。
これも読んでいて思ったことなのですが、
経済学は(というより社会科学全般ですが)、数学とかと違って厳密な証明や法則性の確立ができないからこそ自分は好きなのかもしれないと思いました。
だからこそ、黒か白か決められない。お互いの主張がある中で、それでも最善策はどこなのか?折衷案はなにか?それとも第三案的なものが存在するのか?みたいなところに思考を巡らせるのが楽しいのかもしれない、と感じたのでした。


さて、本題に入りますが、
前述の書籍において、「貧困状態にあると人のIQが13ポイント下がる」という記述がありました。
サクッとググるとこんな記事が出てきました。

この話、Twitterでも見たことがある気がするのですが、示唆に富む内容なんじゃないかなぁと思います。本の中で度々出てくるのですが、
「その人が悪いから、貧困になったのか」
「貧困状態に陥ったから、誤った選択をしてしまうのか(酒や薬物に手を出す 等)」
という問いがある訳ですね。
何で読んだか忘れましたが、「戦争中に薬物中毒だった最前線の兵士たちは、戦争から帰還するといとも簡単に中毒から抜け出せた」みたいな記述も見たことがあります。


ちなみに『隷属なき道』については、ベーシックインカムを推奨する本なのですが、上の問いで前者を支持する人にとっては、
「ただ単にお金を渡しても、無駄な使い方をされるから無駄なお金になる」
と考えるという訳です。
個人的に、これは「個人の責任派」と「システムが悪い派」の2つに分類できるんじゃないかな、と思いました。僕は後者を支持しているつもりです。


(↑このツイートを読んで、うんうん。そうですよね。と思ってました。)


「人間は環境に左右される生物である」
これに対して、賛成する人は多いんじゃないでしょうか?

ただ、
「人間が誤った選択を取る時、その人自身ではなくその環境が悪い」
という表現になると同意しかねる人が増える気がします。
僕自身も、「すべて環境が悪い!」と言っちゃうと個人の努力や忍耐みたいなものが入り込む余地がないように感じてしまいます。

その一方で、自分は「システム派」であると思い込みつつ、「個人の責任派」的考え方をしていた部分があったな、とこの本を読みながら改めて思ったんです。
たとえば、「子どもを育てたいのであれば、ある程度の貯金を蓄えて、大学卒業くらいまでは余裕を持ってお金を出してあげられるようにしてあげなくてはいけない」 みたいな意見に僕は今まで反発していました。


「別に家庭が貧乏だからって子どもが不幸せになるわけではない」
「本人次第で、そのあとの人生がどうなるかなんて大きく変わる」
そう思っていたのですが、これってまさしく「個人の責任派」だな…と。

「将来のために今からコツコツと貯金なんてしたくない!」
そういう思いを、上のような考え方で合理化していたのですが、「貧困状態に陥るだけでIQが下がる」という話を聞くと、その考え方を改めなければならない…と思わされました。
「食べていくことや、今週どう生き延びるかということを考えないと行けない状況では、将来のことをしっかり考える余裕もなくなる」という訳ですね。直感的に理解できる気がします。

紹介した本書では、そんな中から複雑な支援や福祉の制度を設計するよりもベーシックインカムのような形でお金をただ単に渡すことのほうが、
「安上がりでかつ効果が出ると立証されている」といった主張をしている本でした。東京都知事選挙も見えてますが、こんな情勢でTwitterを見ていると政治に関心を持つ人も増えているように感じます。自分としても、こういったことに継続して関心を持ち続けていきたいな、と改めて感じました。


とても長くなってしまったので、今日はここまでとします。
ご意見あれば遠慮なくいただけると嬉しいです!

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