【SS】ほっとけない人
(1081字 2021年11月につくったものです)
二人でタクシーに乗ってから約三十分、僕達は一言も交わしていない。彼女は僕の隣でずっと眠ったままだ。
彼女と会うのはこれで五回目で、僕達にはこれと言って関係性はない。
恋人、友達、身内、仕事上の付き合い、そのどれでもなく、だからと言って全くの赤の他人でもない。
「知人」というにはあまりにも乾きすぎているように思えて、僕はとりあえず「ほっとけない人」という認識でいることにした。
僕が視線を窓の外に向けると、もうすぐ深夜零時になるというのに、大通りには多くの人々が歩いていて、手を繋いでいたり、お互いに笑い合っていたり、優しく微笑んでいたり、そんな温度感ばかりが伝わってきた。
もしここから見えるのが、生気を失った顔で歩いている人間ばかりだったら、今、僕の心情はもっと楽なものになっていたかもしれない。
彼女は、まだ起きない。
***
「この日、一日だけデートしてくれませんか?」
そうやって僕は、道端でいきなり彼女から声を掛けられた。ひと月前のことだ。
茶髪のセミロング、どこにでもいるようなファストファッション、ナチュラルメイク。彼女は特に印象に残らない外見で、僕は最初キャッチか宗教勧誘の女かと思った。
でも、それならそれで途中で逃げればいいか、なんて軽く考えて、とりあえず彼女の話を聞いてみると、
「私、"一日だけ"を繰り返したいの」
なんて言ってきた。
害がない女かどうかなんて正直どうでも良かったけど、「誘ってんなら一回くらい笑えよ」くらいは思ったかもしれない。
とにかく彼女は終始表情が無かった。
彼女とはいつも夕方に待ち合わせて、どこかしらの美術館や水族館に閉館間際に行き、食事をして、帰る。それだけだ。その間、僕も彼女も多くは語らない。話をしても「これ美味しい」とか「今日は寒いよね」とか、そういった類の話ばかりだ。
僕達はそれ以外、何もない。
タクシーは、もうすぐ目的地に着く。
僕の目にはまだ、たくさんの幸せそうな人々が映っている。
彼女はまだ眠っている。
いつものように涙を流しながら。
ここで手を繋いだら、このまま僕の部屋に連れ込んだら、君はもっと泣くのだろう?
君がどこに住んでいて、どんな仕事をしていて、本当はなんて名前で、僕のほかに僕みたいな男が何人いるのか、なんて聞かない。
タクシーが目的地に着いて、僕達はそのまま黙って別れた。
「ねえ、一人にしないで」
僕の後ろから届いたその声は、聞こえなかったことにする。"一日だけ"を繰り返したいのは、僕も一緒だから。
またね、ほっとけない人。
とても嬉しいです。ありがとうございます!!