【SS】くらげ一夜
(約1600字)
パソコンとスマホ、あとは生きるのに必要な分だけの衣服と作り笑いと劣情を持って、健康保険証みたいなもんは置いてきて、よく知らない宿に行って、そこの部屋でこれまたよく知らない別の宿を予約するんだよ。
持ってる現金はニ万円。一万円札が一枚と千円札が十枚。
海沿いの宿の近くで飲んでたら、そこの常連らしい歯の抜けたオヤジさんが「ここは鯖の煮付けが美味いんだ」って熱燗啜りながら教えてくれた。で、僕は正直に「すいません。鯖ダメなんですよ、アレルギーで」って返した。そしたらオヤジさん、何が当たったのか腹抱えて笑い出して、しまいには「おい、女将さん! この兄ちゃん鯖ダメなんだってよお! 可哀想だから代わりに可愛いおねえちゃん紹介してやってよ」なんて店主の女性に言うもんだから、僕は結局どっかから連れてこられた可愛い“おねえちゃん”と一緒に宿泊宿に……じゃなくて、“おねえちゃん”が指定した部屋まで行くことになった。
その部屋で僕と“おねえちゃん”はベッドの上に座って七並べをした。部屋にトランプがあって久しぶりに七並べがしたくなったから。それと“おねえちゃん”も「七並べしたい」って言って笑ったから。
“おねえちゃん”はずっとニコニコしながら何回でも七並べをやりたがった。だから何回でも七並べをやったんだけど、突然“おねえちゃん”が泣き出した。僕が「どうかした?」って聞いたら、意外な言葉が返ってきた。
「あたし、鯖ダメなの」
って。
僕は一瞬驚いたけど、何とか泣き止もうと頑張っている“おねえちゃん”に向かって「それじゃ僕と一緒だ」って伝えた。そしたら今度は「あたし、光り物全般ダメなの」なんて言ってきた。「だから宝石も、太陽も、あと希望もダメなの」って。
「へえ。それ、綺麗な詩だね」
僕はそうやって褒めた。“おねえちゃん”はまたわんわん泣き出して、今度は何も言わなくなった。
僕はプレイヤーが一人欠けて七並べが出来なくなったから、一人でサイドテーブルにトランプのタワーみたいなのを作った。
“おねえちゃん”は泣きながらそれを写真に撮った。そのあと僕に「お兄さん、明日はどこに行くの?」って聞いてきた。僕は明日の行き先を告げた。気づいたら“おねえちゃん”は泣き止んでて一言、
「遠いね」
って言った。そして、めちゃくちゃ可愛い笑顔で「お兄さん、また来て。私、あのお店で色々売ってるから」って僕の右手を両手で包み込んできた。僕はその状態のまま、「また来るよ。でも僕も光り物ってダメだから、お姉さんが売るものは買えないんだけど。今度はアジの焼いたの食べたいって女将さんに言っておいて」って“おねえちゃん”に伝えた。
“おねえちゃん”は、「アジ……」と不思議そうな顔をして少し黙ったけど、すぐに可愛いらしく笑って「えいっ!」って言って、僕のトランプタワーを足で蹴って崩した。手じゃない。足だ。“おねえちゃん”の両手は塞がっていたから。
僕は「またタワー作らなきゃ。いつ宿に帰ろうかな」って言って笑った。
その部屋を出るときに、“おねえちゃん”は僕に「またね」って言ってきた。僕の名前も仮名も教えてないのに。
でも、僕も“おねえちゃん”の名前知らないからお互い様だ。次の宿は何て名前だっけな。えっと確か、「木海月 ーキクラゲー」だ。生まれ変わったら鯖の煮付けが食べられる人になりたい。あと、塩焼きも。それとキクラゲ食べたい。
宿に帰る途中で海に寄って時間をかけて呼吸をしたあと、少しだけ上を向いた。満月六日後くらいの月が出てる。思わず腹の贅肉を触った。欠けていくのもいい。軽くなるんだから。
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(作り手自身は鯖アレルギーじゃないんですが、もし突然鯖の煮付けと塩焼きが食べられなくなったらショックで寝込むかもしれないって話作ってるときに思いました。煮付けの煮汁がまた美味しい)
とても嬉しいです。ありがとうございます!!