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【SS】大衆river

大衆river   ショートショート

(1864字 ) 

 私が小学生になったばかりの頃、父が運転する車の中、二人でたわいもない会話をしていたら、父が何気なく呟いた。

「世の中には勝ち組と負け組があるけど、それで言うたらウチは完全に負け組やからな」

 それは本当に“何気なく”という言葉が似合うシチュエーションで、小学生の私に向けて放たれた。負け組。当時の私はその言葉の意味をよく掴めなかった。純粋にも“不平等”なんて海外にだけ存在するものだと思っていたのだ。だって、学校では“みんな同じ”で教えられていたから。

 父の車はやがて何の売りもない“ただの川”の近くで停まった。堤防にはところどころペットボトルや駄菓子の袋が落ちていた。特別有名でもない、広くも長くもない、人間で言うと一般市民のような川だ。

「ちょっと川、見ていこか」

 父は私の手を引き、歩いていけるギリギリのところまで私を川の傍に連れていった。どうすればいいか分からない。それがそのときの本音だ。いつもだったらすんなり出てくる「綺麗やな」や「わあ、楽しい」などの親が喜びそうな言葉が出て来ない。
 私はその場で黙ってしまった。親が欲しがる言葉が出ない。それっぽいものが浮かんできては、この目の前の川があっちのほうまで言の葉もどきを流していってしまう。

「ちょっと座ろか」

 父はベンチも何もない、ゴミが散乱したアスファルトの上に、車から出してきたところどころほつれた手ぬぐいを敷き、そこに座るよう私に促した。フェイスタオルなどとは呼びにくい、近所のガス屋の店名と局番無しの電話番号が記された“手ぬぐい”は私の分しか無かった。
 私は黙って父の言う通り、その手ぬぐいの上に座った。

 負け組。自分の肉親の口から聞いた言葉を飲み込むどころか咀嚼すら出来ないでいた。負けは格好悪いこと。負けは恥ずかしいこと。日々世間様からそのような無言のバーチャル教育を受けてきた私にとって、出来ればそれは抗いたい言葉だった。しかし、反論しようにもやり方が分からない。幼かった私は、何かとてつもなく大きな力が父の言葉の後ろに隠れているのではないかという気がして、自分の喉に引っかかる泥のようなものをその場に留めたままそれ以上何も言わなかった。

 父と私は二人で黙って川を見続けた。さっき昼食を食べたばかり、おまけに雨が降りそう。綺麗な夕焼けも晴れ渡る空もない。ああ、本当に私達に似合う、何の売りもない川だ。小学生ではなく中学生だったら、私はきっとそんな風に何かに酔いしれたのだろうか。

「川はええな」

 父は私のほうを向き、少しだけ不器用に微笑んだ。びっくりした私は思わず反射的に笑ってしまった。私の足元によく分からない黒く小さな虫が一匹、いつの間にかウロウロとしていた。

「何で? この川、何にもないやん。ただの川やん」

 私は父の顔から目を逸らし、足元の虫を眺めながらそう返した。風が吹き抜ける音。鳥の鳴き声。雑草が揺れる音。そして、流れる川の音。その全部が「身の程を知って在るもので我慢しなさい」と言っているように聞こえた。

*****

 大人になってから、同じように川の音を聞く。何回引っ越しても“一般市民”の川がある。大衆がどこにでも存在するように。

「川はええな」

 私は、これといって目立つことのない川の前で、流れる水の音を聞きながら父と同じ言葉を吐いた。風が吹き抜けて、鳥がさえずって、雑草が揺れる。ゴミは無い。川が流れ続けてきたからか分からないけど、聞こえてくる言葉は、「我慢しなさい」ではなくなった。五年後くらいにはどんなふうに聞こえるのだろうか。「何だかんだ、自分の生き方が好きなくせに」とかかもしれない。
 誰も見向きもしないこの川からは、今日も「負けたらちゃんと認めなさい」と聞こえてくる。認めたら毎回あっちのほうに流してくれるから、見えないところで“認めた負けの海”が出来ているかもしれない。
 私はその海を想像して、いつかの日の父のように少しだけ笑みをこぼした。誰と戦って負けてきたのか、もう分かったから。
 もう一度周りを見渡す。
 やっぱりゴミは無い。あの頃よりも綺麗で安全で、そして、大衆の音は大きくなった。鳥の目は流れていかない。今すぐこの美しい川に飛び込んで泳ぎたいけど、服を着たままじゃ溺れちゃう。

「いや、そもそも泳げないんだった。あはははっ」

 私は大声で笑った。もう意識しないとふるさとの方言が出てこないんだよ。いずれ海に辿り着けば、また自然に話せるようになるでしょう。

 川が、さらさらと流れて、どこかで誰かと同化する。

とても嬉しいです。ありがとうございます!!