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島の郷

アナログ作家の創作・読書ノート    おおくぼ系

 コロナも平常となり、久しぶりに博多在住のジャーナリストA氏と再会した。

 氏は、拙作の読者のひとりで、よく読んでくれて鋭い感想を述べてくれる。それで今回の『草創のまなびや』の校正をお願いしたのだった。

 

 氏の来鹿のスケジュールを調整してもらい会う時間をさいてもらった。

片道三車線の産業道路を南下すると、ヤシの高木が並び、こんもりとした並木が目にとまる。ここが、〈島の郷〉という奄美大島を案内する庭園レストランで、大島紬を宣伝する美術館などもあり、ちょっとしたテーマパークになっている。パーテイなど各種宴会が開かれる建物のロビーで午後五時に待ち合わせとなったが、私とマネージャー女史はやや早く四時半には着いた。

 

会食を予定している郷土料理の〈島の華〉は、夕食は五時半から開店とのことで、ロビーの応接ラウンジで、コーヒーとオレンジジュースを注文して、時間をつぶした。

ラウンジの白亜の壁にタペストリーがかかっていて、大島紬の微妙な色合いを持つ絹糸で櫻島が描かれているが、泥染めされた色合いは一見すると地味である。だが、静かに見つめていると、実に豊かな色合いを発酵させる趣がある。紫色の絹糸が、見る角度と光の加減によっては、青になったり赤色を発色したりと、とりとめのない幻想世界へ誘ってくれる。このつかみにくい感覚が、島紬の個性なのだが、何故か、紬は正装とみなされていない。

 京の西陣織などくらべると、華麗さにかけるのであろうが、しっとりとした自然との調和をかなでる紬は、人生を味わった深い女性の装いに適するのかと思える。

 

 もうすぐ着くからとのA氏から連絡を受けて、マネージャーが、五時半からすぐに始められるようにと〈島の華〉へ料理の注文をしにいったが、しばらくして、やや憤慨して帰ってきた。注文をお願いしたのだが、応対したオジサン(お爺さん?)が、「今注文しても五時半からですから、それから20分ほどは時間をもらわないと」、と愛想がなかったとのこと。なるほどまあ致し方ないかと、思っていたところに氏が到着した。コーヒーを注文して、あいさつなどの近状を語り定刻まで過ごした。

 

 五時半になり〈島の華〉へ移動して、自動ドアをぬけると席へ案内された。

 A氏に島の郷土料理を味わってほしかったのでと、郷土料理の会席を注文し、私は運転で飲めないからノンアルコールビールを、A氏とマネージャー女史お二人には気にせずにどうぞと、生ビールを注文した。

 と、しばらくして例の小柄でやせた、オジサンがでてきて、「生ビールは今切らしておりまして、明日の朝には届くんですが」と、おっしゃる。なんだそりゃ? ここは本当にレストランか? まあ客もおられるのだからと、気を取りなおして、では瓶ビールをと笑いでごまかした。

 前菜がでてきて、鳥のたたき、キビナゴ、さつま揚げのもりあわせで、ようやく乾杯となった。

 

 本好きのA氏と話がはずみ、最近の話題作として『死は存在しない』を紹介された。著者の田坂広志氏は、最先端量子科学の観点から意識というものは死後も存在し続け、量子の中にゼロポイントエネルギーをもつフィールドが存在するという仮説に到達したということである。

 はなしが佳境になったところで、黒ブタしゃぶしゃぶの段重ねがでてきた。ウエイトレスさんが、卓上ミニコンロの固体燃料に火をつけると、ふたたびオジサンが登場しきて、「鍋にはまずシイタケや白菜を入れてください」と言う。マネージャー女史が、沸騰したらスライス肉をしゃぶしゃぶにして食べるんですねと問うと、「いや、豚肉はどっぷりと中で煮込み、それから召し上がらないと、あたりますよ」とのこと。これにはみな、ひいてしまった。ここはレストラン?

 あれやこれやの説明で、紬だけではなく地の島人の単純素朴なひととなりまでも味わうことになり、なるほどと無理やりガテンしたのであった。最後は鶏飯となったが、味自体はきわめて美味であった。

 

 で、現今、女性の進出がはなはだしくて、私は女性が組織のトップについて初めて、社会的責任に目覚めるのではと述べると、A氏は、いや女性は理論よりも感情が勝るので、トップにつくと権力を使って自身の敵は攻撃してやまないでしょうとの持論を展開した。このあたりで、いつもの結論の出ない議論が続いた。

 

さて、最近一気読みした小説、五条瑛『天神のとなり』をとりあげたい。

なんとも経歴がすごい女性作家なのだ。大学時代に安全保障問題を専攻し、卒業後は防衛庁に勤め情報・調査専門職として、極東の軍事情報などの分析を行い、その後作家となった。1999年に本格スパイ小説『プラチナ・ビーズ』でデビューした。

2011年刊行の『天神のとなり』は、スパイ小説ではなくてヤーさん小説であり、著者の説明書きも防衛庁などのキャリアの華々しさが割愛され簡略化され、おやっと思った。

小説の主人公は、元大学の準教授で女性問題により大学を追われ、ヤクザにひろわれた設定となっている。柚月裕子『孤狼の血』とおなじく、女性がこういうテーマをとりあげ、その小説が結構読まれるということは、男どもとしては、どうしようもないジレンマの時代にはいったことを感じる。

そのなかのフレーズだが、

 

「ニュースを見てないのか?」

「うちにはテレビがないんです」

「いまどきテレビもないなんて、どういう暮らしをしてやがる」

「本を読んでます」

「アホくせぇ。それなら、新聞は読んでるんだろう」

「それが、新聞は嫌いなんです。マスコミの報道を信用しないタチなんで」

「能書き垂れてんじゃねぇ」

 白樺は煙草に火を点けた。「――だだの学者崩れのくせに」

 

このようなセリフに出会うと、ついほくそ笑んでしまう。この文言に作者自身が潜んでいると思えるからである。まえに「創作のむこう側⁈」で明らかにしたように、これも読書の醍醐味であり、この推理が事実かどうかはわからないが、作者の本地が出ているのだと感じるのだ。やはり読書は人との出会いであり面白い。

 

『天神のとなり』を読み終えると、やはりこの鏑木シリーズの次作を読みたくなってくる。作家、五条瑛の変化と充実を感じ取りたいのだ。

さらに、改めて大沢在昌の『新宿鮫Ⅰ』を取り出して、男性作家と女性作家のハードボイルド作品の違いについて、なにか手掛かりを得たくて、あれこれと読み比べている。



      (随時、掲載します。ヨロピク!)

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