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ベッパンとベッピン

アナログ作家の創作・読書ノート     おおくぼ系

                                                         〈 イラスト・小斉平 猛〉

   

 ひさかたに骨のある国際社会派ドラマが放映された。VIVANTである。

 恋愛、家庭ものや警察ものにいくぶん飽き飽きしていたところに、ドーンとばかりにモンゴル高原の地平線が映りだした。

高層ビルのなかに生きるタテ目線から、平原を見渡す横広がりの目線になったのは、何年ぶりだろうか。ホッとする心持であるが、内容はどうして、どうして、ハードでありシビアなのだ。

 

 テロ集団の〈テント〉が、日本において謀略活動を行うという情報にたいして、自衛隊のなかの独立組織〈ベッパン(別班)〉が、日本国と国民を守るという設定である。

 このドラマの発想は、広々とした満州荒野を馬でかける馬賊のイメージを彷彿とさせる。謀略テロ集団の〈テント〉の発想はまさに馬賊そのものをうつしていると考える。馬賊とは、仁侠をもった自警団であって、仁は人をたすけ、侠は命をすてて人をたすけることであった。中国、モンゴルにおけるゴッドファーザーの世界であった。

 現代ドラマの馬賊(義賊)、テントも戦乱に巻き込まれ孤児となった子供たちを、立派に育てるために孤児院を運営し、その資金を荒稼ぎする。

 さらにレア・アースの埋蔵発見・開発の利権争いという現代的な視点もからむが、島国の日本は大戦の昔から、つねに資源を追い求めていかなければならない運命にあって、今でもそうである。

 

また、戦前の島国は、人があふれた様にイケイケ・ドンドンの大陸志向の時代で、~せまい日本には住み飽きた~僕も行くから君も行け~の馬賊の歌が流行り、若者は大陸に夢をはせていた。

 司馬遼太郎が、若いころの夢としてモンゴルをめざし馬賊になりたかったと述べていたほどである。

 

 まえに、アナログ作家の小説は、取材をもとに描かれていると述べたが、取材のなかで、大戦の痕跡に行きあたることがあった。某人の取材では、戦時中に南京方面で情報工作に従事していたと聞いた。身分は外務省の雇員ということで、その仕事は街中の居酒屋でシナ人と親しく酒を酌み交わして、いろいろな雑談から手掛かりを得ることであった。親しくなった中国人から、先生へと、書を贈られたのだと掛け軸を自慢そうに見せていただいた。お土産(?)には、勲章を二つほどいただいた。〈ベッパン〉という特殊諜報工作員のドラマは華々しいが、諜報活動の実際の現場とはこのようなものであったと思われる。

 

 このあたりの日本の諜報活動をあらわした本に、手嶋龍一・佐藤優『公安調査庁』がある。両氏は、現在はジャーナリストであるが、インテリジエンス・諜報組織についての経験豊かな権威である。

ーー日本政府には、警備・公安警察・内閣情報調査室・防衛省の情報部門といくつもの情報機関が併存していますーー

と述べているようによくまとまった一冊である。国際冒険・スパイ小説をめざす作家さんは、一読をお勧めしたい。

 

 再度、馬賊の話にもどるが、満州荒野を縦横無尽に走り、感銘を受けた馬賊小説に『夕日と拳銃』がある。これは伊達順之介をモデルにした檀一雄の小説であるが、ほかに『闘神 伊達順之介伝』というものもあり、これは、胡桃沢耕史の手によるものである。

 で、今回特に取り上げたいのが、朽木寒三による『小日向白朗と満州 馬賊戦記』『続馬賊戦記』の二冊である。これが、読み始めたらハラハラドキドキで面白くて1600枚の長編を3日かけて一気読みしてしまった。

 なぜこれほどまでに惹かれたかと言うと、馬賊(義賊)となった日本人白朗は実在する人物で戦後も生き残り日本に帰り八十一歳で生を閉じた。内容は日本人ながら中国人馬賊の頭領になった小日向白朗のいくぶん脚色を含んだ伝記であるが、白朗の信念や作者の視点が、大陸に進出した日本軍ではなくて、中国東北にすむシナ人、農民の生活を守る立場から書かれており、大国中国ならではの悠久の精神を感じられるのである。

 それは、略奪する他の馬賊、中国軍や日本軍から、シナの農民や住民をいかに守るかという苦闘の連続であった。

 

白朗が、頭領になる理由であるが・・・

――福子とは、仏子とも書き、神様の申し子といったふうな意味だ。明朗単純な遊撃隊(馬賊)の壮士たちは、腕と度胸で生きているが一方では”天運”を絶対的に信じている。だから彼らを統率する首領は、単なる腕と度胸だけでなく、その身にさずかった”福運”を示さないと、真の信望は集められない。その代り、一たん信望を集めると、彼の号令一下、万死一生の危地にさえ配下全員火の玉となってとびこんでいくようになるのだーー

――馬賊は”命令”はしない。遊撃隊の指揮者でさえ、「おれは行くが、どうだついてくるか」という形で配下を戦場につれていくのだーー

――新頭目となった白朗のところへ、よしみを通じにくる来客も次から次とあとをたたない。単なる挨拶あれば、紛争処理の依頼もある。中には県公署破りのような荒仕事を頼みにくる老人もあるーー

 このような内容も、70年以上たった現在だからこそ、安心して楽しく読めるのであろうが、いずれにしても民の立場から汚職管吏から農民をまもるという構図は、広大な国土において自尊自立(自治?)の精神を読み取ることができる。

 さらに究極においては、

――人の生死、勝ち負け、これは白朗に言わせるとすべて運であるーー

という。別班については、

――この佐方君は、現在特務機関の中に別班を作って対テロ工作に専念している男だーー

との記述にあるように〈ベッパン〉とは、別の任務をになった別動隊との意味合いから発生したのではないかと考える。

 

 〈ベッパン〉にからんで、男女協働化の時代において、女性がこのように潜入捜査を担えるものかとパートナー女子に投げたところ、〈女性の諜報工作員は〈ベッピン〉でしょう〉とこともなげに言う、このあたりが、女性の時代だと思うと同時に、現実に女性が日本や日本人を救ってくれる時代が来るかもしれないと思うことである。


            (適時、掲載します。ヨロピク!)

 

 

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