雑談


 今度は小説そのもの内容ではなく、その創作のきっかけまたは実生活についてのことを話したいって思う。
 最後の投稿の日を見て、やっぱびっくりしてしまった。もう二年間くらいになってしまった。シキ外れそのものははじめの日本語能力試験(jlpt)に臨んでいた時の発想だった。最初はてっきり合格できるだろうッテ信じていたけど、テストが心配したか、風邪があまり治せなかったか、まさか落第してしまったなんて。正直言えば、きっと合格できるって信じ切ったから、テストの問題集は最後までやりきらなかった。多分最後の二十日間でシキ外れの大筋を整えて、第一章も一緒に書き終わった。恐らく、自分の頭には自信が溢れすぎて試験の落第の始末になってしまった。
 落第してしまったというメッセージが届いたときは新型コロナの厳しさが頂上になる時だっけ?あっちこっちの道端には団地の委員会の管理者がいたし、外出する欲望がぜんぜんなかった。いろいろあって、日本語に関するもの一切にも触れたくなかった。
 私の専門科は日本語だった。クラスでは日本語の能力が一位を占めるとは言わないとしても、学校の日本語の授業内容を済ませていっぱいな暇を作れるくらいの能力ならぜんぜん問題なし。その時、クラスメートたちがXさんならN1に合格できるのは当たり前のことなんだろうって言葉の力がこっちの自信の強さより強かったと言っても過言ではないって思っていた。幸い、こっちの呟きもほぼ多分合格できるだろう、多分合格できるかもしれないといういつもの言い方で面倒そうな噂を免れた。
 試験には向いていないタイプだったろう。もしかすると勉強のやり方を間違えてしまったか。とにかく、それから一日中問題集と付き合っていた生活には終止符を打った。つづいて、新型コロナのため、中国ではたくさんのJLPTテストが受けられの場所が消えた。その同時に、新型コロナのため、学校ではの生活もオンライン授業になっていた。
 やっぱリ悔しかったなあ、今まで幸いなことに専門科を選んだときは家族には支えられたことはなかったけど、せめて阻まれなかった。試験の失敗のことで、紛れもなく疑われていた芽が割れた。自分の選んだ道だから、逃げようにも逃げられないし、悔しいは悔しいけど、ただ試験には向いていないそういう考えでポジティブな気持ちを少しずつ削って削って片付けきった。
 半月が流れたか一か月が流れたか、ある日に日本語の古語を勉強し始めた。youtubeの動画のおかげで漢文や古文を勉強した。難しくないわけがなかった。動詞、形容詞、形容動詞の古い活用、国では学生としてほぼ触れられないものばかりだったから。実はjlptのテストを受けた半年の前に日本語の古語についての本を買ったけど、読めなかった、ぜんぜん読めなかった。本当に渋すぎた。それは日本の友達に依頼して大学に進学の補助教材に比べたら何ものにもならないものだと思う。まあ、それはあと話だ。
 こっちでは古語どころか、現代語を活かすチャンスも全くない。たとえ何か勉強しても、結局は同じだ。自分の日本語は一体どんな日本語かという疑惑を抱いて、シキ外れを書き続けていった。
 こっちでは投稿するメリットとデメリットもはっきりしている。みんなは自分好きなものを書いて、読者に見せて、わざと何かを求めることではない。それも多分環境の差異にかかっているだろう、その部分の話あとには付く。
 もし小説の紹介にはおコメントを心から誠にお求めいたします、心底から期待しておりますって書いておいたら、多少、少なくないコメントをいただけるだろう。そうする必要性がないって思っている。なぜならば、自己紹介には書いてあるし、文法の間違いでもいい不自然な言葉遣いでもいい、小説を見本にして以上の癖を直すにはどんなコストがかかるかもう数字だけでは表せないものだ。ほかには、またいろいろなことがあるけど、今度は一応ここで、
 環境差異ということはだいたい利益が出るかのにかかっているだろう。一応実経験を聞かせてもらう。日本のネット小説の数が中国のほど少ない。どちらかと言えば作家たちの競争の激しさが複雑な市場により中国のネット小説家がもっと厳しい環境に置かれるはずだ。
 ある作家が人気になるかどうか、作品はもちろん、他にも複雑な要素が絡んでいる。例えば、演劇界のある俳優が優れた演技により大人気な者になったが、浮気事件のため人柄に疑われて演劇界では事業の末を迎える。舞台以外のところで相手を倒す、手を問わざる勝者がないものでもない。作家である以上は、読者にもほかの作家にも繋がることは不可避だ。ネットの小説界に生きている作家には作品へのコメントが伝統的な小説のよりもたらしてきた要素はずっと不安定になる。
 立場によって、言葉が変わる。それはずっと昔から伝わってくる話だ。私の目から見れば、ネット小説の下層では互いに言語で相手を攻撃する現象がもっと明らかになっている。
 ここから実経験の話だった。それは何度もツイターを利用して、日本のなろうの小説を漁っていたことだった。ある小説家がもう一人の友達みたいな小説家との話だった。こっちは一人の言葉(インタネットの略語)を間違えて、話題に外れた話を言った。そして頭駄目、理解力低下とかの当事者からのdmが届いた。こっちのアカウントは何でも日本語で書いてあるものだから、案外もなく阿呆に取扱われてしまった。当事者のツイターも見たが、ほぼ作品が出世できないのは読者側の問題などの呟きばかりだ。事後、見知らぬ日本人がdmでそいつ怒りやすい、意地悪と関わらないで忠告してくれた。以上の似てることはこっちのインスタにも載っているから、似てる場合に落ちないように小説の紹介には余計な求めを抜かした。
 最近の実生活の部分は今度の雑談に見送ってもらう。

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