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シーラカンスになりたい男

「もう朝か…」
雅紀が数時間ぶりに口を開いたのは、夜が終わってしまうことを嘆くような、朝が来ることを拒むような、そんな一言だった。
微睡の中にいた俺は、重い瞼をそっと開く。
「どういう意味だ、それ」
両手を上げ、伸びをしながら尋ねる。

「いやぁ、俺らの無敵が終わっちゃうなぁと思ってさ」
「…無敵?」
俺は、足元に置いてあった缶を持ち上げて飲んだ。
カイロ代わりに買った缶コーヒー。それももう、熱を完全に失ってしまっている。

「そう。俺さ、若者の主戦場は夜だと思うんだ。昼なんかは大人がうじゃうじゃいる。俺たちよりもっとすごい人が、この街を歩き回って、生活するために働いてる」

気がおかしくなった雅紀の熱弁を横目に、俺は携帯を開いた。始発まで、あと30分ある。
僕らが腰を落とす創成川のほとりは、やけに静かだった。東方向に見える橋の上に、スーツを着たサラリーマンがポツポツと歩いているのが見える。その表情は、今日の天気とは明らかに真逆の、どんより曇った表情だった。

「なぁ、聞いてる!?」

右肩を強く揺らされ、僕は我に帰った。
横で、雅紀が膨れっ面だ。

「ああ、すまん。それで?」

「だからさ!この真夜中が、俺ら若者が主役になれる唯一の時間なんだよ!!」

こういう日は時々あった。
ただなんとなく外に出て、ただどこかに腰を下ろして、何気もない会話をして、朝を迎える。朝は歩いて帰る気力を残していないので、始発で帰る。
側から見ればなんの生産性もない時間だけど、僕らにはこの時間が、とても愛おしいもののように思えた。
そしてその度に、雅紀はこんな発言を繰り返すのだった。

「なぁ、どうすんだよ俺たち」

雅紀に尋ねられた。このモードに入った彼を、止めることはできない。

「.…なにが」
俺はその3文字に、呆れと面倒くささをたっぷり詰め込んで言った。

「俺たちもうすぐ、大人になるんだぜ。この時間がおわっちまうんだぜ…?」

俺は大きなため息をつく。めんどくさい。確かにそういう理由もあったけれど、実を言うとその理由は、別にもあった。
俺は、未来を考えることからずっと逃げているのだ。
こんな時間がずっと、なんとなく、続くことを望んでいる。できれば何も考えないでずっと、こうして、水面に映る日の出を楽しんでいたい。そう思っている。

サラリーマンが橋の上で、川を眺めているのが目に入った。ネクタイを緩め、彼は遠くからでもわかるような大きなため息をひとつつく。
彼に聞いてみたい。
「大人の何がいいのか」、「お金はそんなに大事か」、「働くことに意味はあるのか」

そして、納得のいく答えがほしい。

「なぁ、さっきから聞いてる!?」

今度は、両方を持って身体を揺らされた。
頭の中身がかき回され、それぞれ全く別の場所に配置されたような感覚になる。

「どうすんだよ俺たち。もう、終わっちゃうよ?」

頭が回らない。俺は彼と違って、まだ正気を失ってはいない。雅紀をあしらうように、俺は言った。

「なんか、もうどうでもいいわ」


沈黙の数秒の後、何故か虚しさが押し寄せた。
そしてそれは止まることを知らず、俺の心を覆う。
俺はすぐに、その言葉を言ったことを後悔した。

その言葉は未来だけじゃなく、今まで積み上げてきた思い出さえも、放り投げてしまっている気がしたからだ。
そうじゃない、僕が言いたかったのは…

その時、僕は何故か、“あんな言葉”を口にした

「あ、いや…、お、俺さ!シーラカンスになりたいんだ!」

また数秒、今度は少し長めに、時間が流れる。
彼が理解できないのは当然のことながら、僕でも僕の言ったこの言葉を理解することができないでいた。

「なんだ…?それ」 

不思議そうな顔で、雅紀が俺の顔を覗きこんだ。
これじゃ、どっちが正気なのかわかりゃしない。

「あ、いや…だって!シーラカンスはずっと、あの姿を変えずに何億年も生きているだろ!?ほら、それがなんとなーく、うらやましいなぁ〜って!!」

取り乱した、何とも俺らしくない、脈絡のない言葉。
何を言っているのか、自分でもさっぱりわからない。 

雅紀は少し考え込んだ後、俺の顔をもう一度不思議そうにみて

「ふーん、なんかいいな。それ」

と笑った。

正気じゃないのはお互い様じゃないか。そのことにようやく気づいた俺は、なんだか笑いが込み上げてくる。

俺たちは笑った。バカみたいに。
その時の俺たちはきっと“無敵”だったに違いない。

太陽はもう、地平線から顔をのぞかせている。

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表題曲:  シーラカンス/ズーカラデル

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