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「ブルーバレンタイン」を観て。


原題:Blue Valentine
邦題:ブルーバレンタイン

監督:デレク・シアンフランス(2010年)

あらすじ: 結婚7年目を迎え、娘と共に3人で暮らすディーン(ライアン・ゴズリング)とシンディ(ミシェル・ウィリアムズ)夫妻。努力の末に資格を取って忙しく働く妻シンディに対し、夫ディーンの仕事は順調ではない。お互い相手に不満を募らせながらも、平穏な家庭生活を何とか守ろうとする2人だったが、かつては夢中で愛し合った時期があった。(引用)

感想:無機質。

なぜだろう。終始、無機質に感じた一本。でも、ものすんごく心に残してくる。なぜかな。視野を広げてしまえばこのようなカップル、夫婦は何組もいそう。

相手に愛を感じてるから傷ついたと感じる。だからディーンはもちろん、シンディだってまだ少なからず彼に愛はあったんじゃないかなあ。だから辛いし傷ついてるんだと思う。でも、やっぱり愛だけじゃ生きていけない。未来を、理想を夢見すぎたディーンと、現実を直視し過ぎたシンディ。ずれてくに決まってる。

つまり。ワタシ自身が誰かに傷つけられたと感じた時、その相手に対して何かしらの愛を持っているという証拠。それは恋人でも友人でも家族でも。どうでもいい相手だったら何も感じないに決まってるから。

ちょうど去年の冬。ちょっとした悲しいことがあって仕事中でも泣き出しそうなくらい傷ついたことがあった。今思えばあの時すでに、その相手に対して愛情を持ってたんだなあと。しかもかなり大きな。今思い出しても泣きそうになるけど、ワタシみたいな人間でもちゃんと愛情を人に持てるんだなあと実感。

「愛を見つけるには感情を持たなくちゃ
 愛を信じる権利がある 自分を信じるの」
まずは自分を信じてあげないとね。愛されてる自分を信じて初めて、人を愛せるんだと思う。

ディーンとシンディの間には、何が必要だったのか?

そもそも、お互い見ている人は違ったのかもしれない。出会った頃のふたりを見ると何となくそう感じてしまった。自分を愛してくれる優しい男性を求めるシンディ。ロマンチックに浸るためにかわいい女性を求めるディーン。結局それが満たされてしまったから関係は終わってしまったのではないのか。お互いどんな人間なのか本当に知り合ってるのかな?

ワタシは、ちゃんと1人の人間として相手を見つめたいし、相手にもちゃんと1人の人間として見てほしい。

お互いの家族関係が悪かったのも大きかったのかな。早いうちに家を出て行ってしまい、母親の愛情を知らないディーン。冷め切った両親の元で育ったシンディ。そのせいで彼女は性に奔放になってしまったのかなあ…。

仲良しな夫婦なんてものは存在しない。そんなものが潜在意識であったのかも。それを受け入れてしまったシンディと、それを受け入れないようにしてたディーン。何もかもすれ違ってるんだね…。

この映画って、男性女性によってかなり目線が変わるだろうなあ。シンディの妊娠検査棒や中絶シーンでは泣いてしまった。女の不安さを悲しいくらい表現してた。そんな最中、元カレはディーンを殴りに行くだけ。そんなんしてる暇あったらシンディに謝れよ!

なんで、女はこうも不安定なのにさらに不安にさせるようなモノが降り注ぐのだろう。

正直、ワタシはシンディ目線になってしまい、ディーンしっかりしろよ!って思ってしまった。ロマンだけじゃ生きていけないんだよ。

生え際後退してだらしなボディのライアン・ゴズリング…。なかなか見れないし役者って本当にすごい…。出会った頃のシュッとした姿のかっこよさが際立つ。

ミシェル・ウィリアムズ。「ブローク・バック・マウンテン」で知ったけど、なんでこんなにも辛い役が合うんだろう。笑ってるのに切ない。本当に現実で生きてる人間を生身で演じてる。だからヒリヒリと心に響いてくる。彼女は本物…。

最初の2人のキスシーン。躊躇う感じが本当にもう…。

君はいつも愛する人を傷つける
傷つけてはいけない人を
君はいつも美しいバラを手折り
花びらを散らしてしまう
君はいつも優しい心を打ち砕き
言葉で傷つける

もし僕が君を傷つけたなら
それは君を愛してるから
誰よりも

もし不意に誰かを傷つけてしまったら、その時はちゃんと愛を伝えたい。


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