縁迷匙像
私にとって、「未来のためにできること」は、死ぬことだ。
私が初めて「死にたい」と思ったのは、小学5年生のときだった。
「このままだと私は、とてもつらい人生を歩むことになる。だから、今のうちに死んでおこう」
「死にたい」理由のうちのひとつがそれだった。
そうやって言えば、「馬鹿なことを言うな、そんなことを言っていると、本当にどうしようもないことになってしまうぞ」と言われるのはわかっていたので、誰にも言わなかった。
けれど、小学5年生の私が考えた「未来のためにできること」はそれだった。
何なら37歳になった今でも思っている。
そんな私に世の中の人はなんて言うんだろう。
「本を読むとか音楽を聴くとかテレビをや映画を観るとかおいしいものを食べるとか、何でもいいから、楽しいと思うことをしてみなよ」
「世の中には、生きたくても生きられない人がたくさんいるんだぞ! そういう人たちに対して、恥ずかしいと思わないのか!」
私は、そんなことを言う人と関わっている自分が恥ずかしい。
「死にたい」というのが私の本心で、そんなことを思う人のことを迷惑な人間だと思うのが私以外の人の本心だ。
それなら、死ぬしかないんだと思う。
「そんなことを言うな」「死にたいなんて思うな」とたくさんの人が言うんだろう。
それもわかってる。だからもう、すべての話は、終わってる。
私が未来のためにできることは、死ぬことだけだ。
「働いているじゃない」と言う人がいるかもしれない。
働いているのは、どちらかというと、今のためだ。
働けば働くほど、持病である #特発性下肢リンパ浮腫 は悪化していくから、未来のためとは言えないと思う。
私は、さらにひどくなっていく未来に向かっている。
たくさんの人が言うだろう。
「お前は何をやっているんだ」って。
「お前は、努力が足りない。努力の仕方が悪い」と。
もうそれでいいから、早く死んでしまいたい。
死ねないのは、自殺したら、死後の世界で、生きているときとは比べ物にならないくらい苦しむからだ。
でも、本当は、知っている。
自殺をしなくても、死後の世界で苦しむかもしれない、ということを。
結局、どちらにしても、苦しむだけだ。
そんなこともわかってる。
それなのに、何も知らない人が私に言う。
「お前は、世の中のことをわかっていない。お前よりつらい思いをしている人は、たくさんいる」
そんなことぐらい知ってる。
だから、死にたい。
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