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【壮絶】私の中学受験体験記①


塾講師のアルバイトで中学受験生を指導している。
その生徒は、学校行事に度重なる模試などイベントがたくさんあり体力的・精神的にも疲弊しながらも一生懸命に勉強している。そんな姿が11年前の自分と重なった。
【中学受験】という経験は12年しか生きていない私にとっては過酷で残酷でしんどいものだったが、何事にも耐えがたい自分を成長させてくれるものになった。

今回はnoteで振り返りたいと思う。嘘のようなホントの話です。
注意としてあくまで【体験記】なので勉強法などは全く記載していません。ご了承ください。

中学受験のきっかけ


小学校4年生から受験勉強を始めた。2歳上のいとこが中学受験に挑戦していること、だんだん小学校のクラスの友達が大手進学塾に通いだし受験を意識した学習を始めていたことがきっかけだ。

正直学校の授業じゃ物足りない感じもしていたし、飽き性の私にとって何か最後までやり遂げたい。そんな思いもあって

『受験したい。』
と両親に頼んだ。もともと両親は私を近くに公立中学に進ませるつもりであったがいつも両親は私の意志を尊重してくれる。

近くの関西メインの中学受験専門塾に入塾した。
この瞬間から【地獄】が始まった。当時10歳の私は知る由もない。
自分からやりたいって言った進研ゼミも公文も学研もピアノも全然続かなかったけど中学受験はやり遂げたい。そんな思いは変わらなかった。

入塾してから(4年生)

まだ4年生。楽しく勉強していた。偏差値は平均してだいたい55-60くらい。
たまに運がいいときは模試で受験科目全て90点台をマークする奇跡的な回もあった(笑)このときは家で宿題をこなすくらいで特に苦しくもなかった。何より先生も面白いし分かりやすい。遊び感覚で通っていた。
驚くべきことに、学習内容が聞くだけで頭に入ってくるのだ。特に学習しなくでもある程度は取れた。この大して努力していないときの成績の好調が一番怖い。後々、地獄を見ることになる。

5年生

私が通ってた塾は、5年生から成績別クラスとなる。なんせ人数が少なかったので2クラスしかなかった。私が振り分けられたのは上のクラスだった。
周りはもう最難関中学を目指す人たちで意識が高い。常に偏差値60-70が当たり前の人たちだ。授業中も真面目で真剣に取り組む。もう4年生の時みたいなお遊びじゃないんだと痛感した。

そんなこんなで週3の17:00-21:30の塾通いは続けていたがクラスの女子にある日突然、睨まれて口を聞いてくれなくなった。
【楽しい】から行ってた塾が急に辛くなったこと、上位クラスの空気が耐えられなくなったことを理由に母から先生にクラスを下位クラスに変更してもらった。

下位クラスでも基礎をしっかり教えてもらえるから自分にとって居心地が良くて楽しかった。

5年生の最後に総まとめテストがあった。6年生に上がる前に実力をはかるテストで過去の先輩たちも同じ問題を受験していて、自分の成績と同じくらいの成績の先輩はどこ中学に受かったかなどが分かるものだった。
そのテストで奇跡的に好成績をマークしてしまった。算数と理科はまずまずだったが得意の国語社会が目を疑うほどいい成績だったのだ。

そんなこんなで特に努力はせず5年生もゆるゆるで終わりを迎えた。
まだこの時の自分は【受験の厳しさ】に気が付いていない


志望校決定

私はもともと男子が苦手だったことにより女子校志望でだった。関西なので私立中学はたくさんありいろいろ見学していると、一つ目を引く女子中があった。直感的に『ここだ!!』とピンときた。絶対ここに行きたい。それ以外考えられない。と思いすぐさまここを第一希望とした。
成績的に合格率は50%くらいだったのでより一層努力しないといけないと思ったことを覚えている。


6年生

3月から6年生が始まった。驚くべきことに、クラス分けでは上位クラスに指定されていた。
塾の担任の先生に聞くと
『妥協せずに自分からしんどい方に飛び込んだほうがいい。実力はあるから。』
とのことだった。

ここからの話でキーパーソンになるのはこの塾の担任の先生だ。K先生と呼ぶ。
K先生は本当に怖い。よく怒鳴る。過去の先輩たちもこの先生に大いに泣かされていて、男女関係なく怒っていた。
この姿をずっと見ていたためこれを通り抜けないといけないのかと思うと、心臓が痛くなったがなんとかして1年乗り切ろう。
それだけを思っていた。

これからK先生には懲らしめられる日々が待っていた。笑

まだ②に続きます😭

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