治療とその効果 第4話

ベッドの上で目が覚めた。光を顔に感じた。ベッドの左側にある、窓のカーテン越しに差し込んだ日の光だった。ぼくはバネ仕掛けの人形のように飛び起きた。顔から血の気が引いているのを感じる。
「遅刻!?」
暗いうちに起きないと会社の始業時刻には間に合わない。視線を枕元に向ける。昨夜セットしたはずの目覚まし時計は、もう昼前の時間を指していた。昨日の帰り際の、先輩の責めるような顔が頭に浮かんだ。
「どうしよう、どうしよう、どうしよう」
頭の中で同じ言葉が円を描いて回っている。そう言えば昨日のあいつ、未来から来た「ぼく」はどうしたんだろう。
うちにいるのは3日間だけだと言っていた。毛布を貸してベッドの横で寝ているはずだったがそこに彼は居なかった。毛布は畳んでベッドの枕元側の床に置いてある。
ぼくはその毛布の上に一枚の紙片があるのに気づいた。ベッドの枕もとの棚の上に置いてあったメモ用紙に、彼が書いたようだ。
「会社に行ってくる。お前が来ると同じ人間が2人になる。騒ぎになるから家に居ろ」
ぼくの筆跡と、まったく同じ字だった。どうすればいいか分からず、ぼくはベッドの上に腰かける格好でへたり込んだ。
「もう、どうにでもなれだ」
つぶやいた。立ち上がり、玄関手前のユニットバスまで歩き、トイレをすませた。ベッドに戻ると腰を掛け布団の下にもぐりこむ。目をつぶると頭の中にはひとりの女性の顔が浮かんだ。会社の同僚の女性の顔だ。1年先輩の事務スタッフだが、高校卒業後すぐに入社したため年齢はぼくよりも若い。黒目がちな大きな目と丸い輪郭。ショートカットで明るい色の髪。いつも明るい笑顔でおしゃべり好きの彼女は、社内でもムードメーカーだ。
いけてないぼくにも、分け隔てなく喋りかけてくれる。いつの間にかぼくは彼女のことが好きになっていた。頭の中では、その彼女が眉間にしわをよせ、心配しているような表情でこちらを見つめていた。ぼくはそんな想像をしているうちに、そのまま眠ってしまった。

次に目が覚めると、もう日は傾いていた。お腹がすいて目が覚めたようだ。そういえば食事と言えば、昨日の夕方仕事中にカロリーメイトを食べたっきりだった。ベッドの上に腰かけ、ため息をひとつつく。枕もとの時計に目をやる。目覚まし時計は3時過ぎを指していた。立ち上がり、ベッドの足元の方にある充電器のスマートホンを取ろうとした。充電器にスマートホンはささっていなかった。ぼくの記憶では、昨夜寝る前に充電器にさしこんだはずだ。きっと彼が持っていったのだろう。なんてやつだ。
ぼくは立ったままユニットバスの左手横のミニキッチンに行き、その下の冷蔵庫から500ミリのペットボトルを取り出した。蓋をあけ、中の水を口に含む。乾いた口の中に水が染み渡っていく。うまい。久々に飲みものを味わったような気がした。さらに冷蔵庫を覗き込んだ。冷蔵庫には水とマヨネーズとケチャップしか入っていなかった。ここ何ヶ月も、自宅は寝るためだけに帰ってきているようなものだった。部屋には食べるものは置いていない。水分を取ったことで、さらに腹が減ってきた。部屋を見渡し財布を探したが、財布が入っているはずのカバンごと見当たらなかった。財布の中にはクレジットカードや銀行のキャッシュカードも入っている。
「おいおい、まじかよ、あいつ」
思わず口から出た。家の中に一銭もお金は無いのだ。職場では馬車馬のように働き、それでも先輩にいじめられている。その上もうひとりの自分自身に家に閉じ込められるなんて。
「なんて情けないんだ」
無力感がこみ上げてきた。ぼくは脱力しベッドの横の床にじかにねっころがった。そのまま天井に顔を向けた。目を力いっぱい閉じ、口にも力を入れると、両目の端からこめかみに涙が伝わり落ちてきた。嗚咽で身体が震えていた。誰も見てはいなかったが、ぼくは両腕を交差し顔を隠した。震えは、しばらく止まらなかった。

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