治療とその効果 第7話

ぼくは白い壁の病室のベッドの上で寝ていた。4m四方程度の広さの白い壁の個室だ。左手にははめ込みの大きな窓がある。太陽の光が差し込み、茶色の床を照らしている。病院特有の消毒液の匂いがほのかに匂ってきた。嫌なものだ。さっきまでここで説明していた医師の説明では、ぼくの症状は、今までに症例のない病気の可能性が高いということだ。全力は尽くすが今のところ治療法の目処は立っていないらしい。2、3日中に詳しい検査のために大きな病院に移る予定になっている。
ベッドの右側にはスタンドが立ち、透明なチューブを通して、点滴をぼくの右腕に送り込んでいた。

ドアが静かな音を立てて開いた。ゆっくりと彼女が入ってきた。彼女はベッドの横に置いてあったパイプ椅子を手で開いた。その背もたれに、着ているオレンジ色のダッフルコートを脱いで掛けた。自分も椅子に腰を下ろす。肘をベッドの上にのせ、両手のひらでぼくの右手を包みこんだ。着ている少しくすんだグリーンのセーターと、グレーのスカートがぼくの目に染み込んでくる。味気ない病院の検査着を着ているぼくは、その対比が恥ずかしかった。
ぼくは、勇気を振り絞って声を出した。
「セーター、似合ってるね」
自分の声が上ずっているのが分かる。
彼女は目尻を下げ小さな口の口角をちょっぴりだけ上げた。
「昨日あなたに選んでもらったセーター。どう?思ったより似合ってるでしょ?」
そう言い終えると小さく声を出して笑った。
ぼくは心の中で「あいつめ!」と叫んだ。動揺が顔に出ないよう無理に笑顔を作った。
「あ、そ、そうだったね」
そう口に出すのが精一杯だった。舞い上がったぼくは、そのあとなにを話しているのか自分でも分からなかった。
話の途中、彼女の顔が、少し曇ったように見えた。
「ご両親には連絡しなくていいの?」
郷里には就職してから一度も帰ってなかった。父母共に厳格で、実家は居心地が悪かった。家に帰ると思うだけで動悸が上がる気がする。
「検査結果が出てから連絡するよ。検査が終わって、もしそれでも電話もできなかったら、その時にはお願いしてもいいかな」
それを聞いた彼女の顔は、まんざらでもなさそうな柔らかな笑顔をだった。
「いいわよ。まかしといて」
言うが早いか、彼女の顔がゆっくりとぼくの顔に向けて降りてきた。彼女の大きな目と視線が合った。恥ずかしくて目を逸らす。今まで、女性の顔をこんなに間近でみたことはない。横目で見ていると彼女の顔はさらに近づき、ぼくは目を開けていられなかった。彼女の前髪がぼくのおでこに触れるのを感じた。鼻の奥に甘いような柔らかなにおいが届く。温かく柔らかいものがぼくのくちびるに触れた。ぼくの全ての神経が、くちびるに集中していた。ぽってりとした彼女のくちびるの感触を感じた。ぼくは閉じた目に、さらに力をこめた。生まれて初めてのキスだった。
彼女の顔が遠ざかる気配を感じた。目を開けると、彼女の笑顔に夕日が差し込んでいた。

ぼくは目を覚ました。気がつかないうちに眠っていたようだ。日は完全に落ちていた。電灯のスイッチは枕元で操作できたがぼくはつけなかった。
枕元の時計の針は後30分ほどで真夜中を指す。未来から来た彼は、3日後、要するに今日中に帰ると言っていた。もう帰ったのだろうか。ベッドの左側の窓から外灯が少し差し込み、部屋の様子はなんとか見てとれる。ぼくは病室の天井の染みを見つめていた。
半分開いたままのドアの外に気配を感じた。ぼくは天井を見上げたまま声をかけた。
「居るんだろ?」
ドアがゆっくりと全開した。人が歩いてこちらに近づいてい来るのを感じる。彼の軽い声が聞こえてきた。
「よう、元気?な訳ないか」
必死に力を込めて首を右側に向けると、影の中をぼくと同じ顔が近づいてきた。彼は、ぼくの部屋にあったジーンズとトレーナーを着ていた。
「生意気にも個室なんだな」
口は笑顔の形に見えるが、目は笑っていなかった。

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