治療とその効果 第2話
マンションのオートロックの番号を押すと自動ドアが開く。入って左手にある管理人室の電気は既に消えていた。ぼくは管理人の顔を思い出そうとしたができなかった。
土日の休みもなく毎日仕事、仕事だ。管理人に会ったことなど、住んでいる3年の間、1、2度しかないことに気づいた。自分のことがバカに思え、思わず口角が上がる。目は笑っていないだろう。
玄関ホールを入り目の前にあるエレベーターのボタンを押す。エレベーターは最上階の8階に止まっているようだ。古いマンションの旧型のエレベーターだ。降りてくるのには少し時間がかかる。
入居当初は、健康のために3階の自室へは階段で上がることに決めていた。そのルールは、少なくともここ1年は守ったことがない。今にも壊れそうな音を立ててエレベーターが到着した。ドアが開きエレベーターに乗り込むと同時に足の力が抜け床にへたり込んだ。疲労は限界に達していた。
エレベーターを降り、足を引きずるようにしてそこからからふたつ目の自室に辿り着いた。ズボンのポケットから部屋の鍵を取り出し鍵穴に差し込む。そのままいつものように左に回そうとしたが、鍵は回らなかった。部屋の鍵は開いていた。ノブをつかんで回し押すと簡単に開いた。自分の心臓の音が大きく聞こえる。
〜閉め忘れか?それとも泥棒?
玄関から入り静かにドアを閉める。手が震えている。音を立てないように靴を脱いだ。右に小さな作りつけのキッチン、左手にユニットバスがある短い廊下にあがる。廊下の1番奥、部屋の入り口のドアの隙間からは今朝出がけに消したはずの照明の光が漏れ出ていた。2、3日前のネットニュースで、逆上したコソ泥が住人を刃物で刺した記事が出ていたことが頭をよぎった。ぼくは声を無理矢理ふりしぼった。
「誰だ!?」
部屋のドアに向かって叫んだ。声は自分でも震えていることが分かった。ドアの向こうからは男の声が聞こえてきた。
「よう、やっと帰ったのか。遅かったな」
その声には聞き覚えがある気がした。なぜだろう、違和感を感じる。ぼくはドアを開けることができなかった。ドアの向こうで足音がこちらへ向かう気配がした。ゆっくりとドアノブが回り、部屋の中からドアが引き開けられた。男の顔が目に入ってきた。男は、鏡を見るように、ぼくにそっくりだった。自分の胸の鼓動が更に早くなるのを感じた。足が震え全身の力が抜けた。耐えきれず、ドアの前にへたり込んだ。目は、吸いつけられたように男の顔から外すことができない。もう一度、目の前の男の顔を見る。男の顔は、口では笑顔を作っていたが目元は笑っていなかった。その目頭には、ぼくが小学一年生のときに転んで付けた傷があった。ぼくは、男がぼくと何ひとつ違うところがないことに気がついた。ぼくと同じ顔を持つ男が口を動かし、なにか喋ろうとしていた。頭が回転しない。その声は、聞こえてはいたが意味を理解することができない。いったい、何が起きているのか分からなかった。顔から血の気が引いていく。ぼくは自分の意識が薄れていくのを感じていた。
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