治療とその効果 第6話

枕元で目覚まし時計が鳴った。彼が来てから3日目。今日彼は未来に帰る予定のはずだ。窓の外はまだ暗い。目覚ましの音が鳴り続けている。止めようと手を伸ばす。手に力が入らない。おかしい。手は揺れるだけだった。目覚ましは鳴り続けたが、すぐそばで人の気配を感じたと同時に鳴りやんだ。
ぼくと同じ顔が上から覗きこんだ。目覚ましは彼が止めたようだ。会ってからずっと、自信たっぷりの表情を崩さなかった彼が、口をへの字にし、目と眉の端を下げていた。憐れんでいるようにも見える。全身に力を込めてみた。動かないのは腕だけではなかった。なんとか顔の向きは変えることができる。動かせるのは首を含めた顔の周辺だけらしかった。
「どうやったのかは分からないけど、どうせお前のせいなんだろ。冗談はよせよ。今日こそは会社に行くんだから」
彼は聞こえていないのか、深刻な表情のまま答えなかった。ぼくは繰り返した。
「さっさと解放しろよ!会社に行かせてくれ!クビになる!」
最後の方は叫んでいた。彼の顔がぼくの視線から消えた。見えないが、彼が電話しているらしい声が聞こえた。誰かにここに来て欲しいと頼んでいるようだ。電話を終え、彼の顔が視界に入ってきた。
「助けを呼んだ。同じ人間がふたりいるとまずい。おれは消えるぜ」
ぼくの体は一向に動かない。ぼくは首をねじり顔だけを彼の方に向けた。声が荒くなっているのを自分でも感じる。
「これはお前のせいじゃないのか?知ってることがあるんなら行く前に説明しろよ!」
彼は目を合わせなかった。言葉を選んでいるようだった。
「おれのせいと言えばおれのせい。お前のせいと言えばお前のせいだな」
彼の言葉は理解できなかった。
彼は部屋のドアに手をかけた。
「助けが入ってこれるよう鍵は開けておくぜ。また後で会おう」
セリフの最後は、廊下へのドアを閉めながらだった。
彼が部屋から出ていく音がした。ぼくは天井を見つめていた。頭の中はたくさんの疑問が渦巻いている。動けなくなった原因は?彼と関係は?誰が助けに来る?どのくらい待てば?考えているうちに、暗かった部屋は太陽の光で明るくなっていた。
玄関のドアを慌ただしく開ける音が聞こえてきた。切羽詰まったような女性の声が続く。
「大丈夫⁈」
部屋のドアが勢いよく開き、会社の同僚の例の彼女が入ってきた。彼女はいつもの事務服ではなく私服だった。顔だけを彼女に向ける。寝たままのぼくの視線はこんな状況にも関わらず、彼女が着ているオレンジ色のダッフルコートの下からのびる白い足に吸いついた。視線を無理やり剥がし顔へ移す。明るい茶色のショートカット、見開かれた大きな目と眉間のシワ、への字に曲げられた口が見えた。彼女はベッドの横に膝立ちになり、ぼくの顔に顔を近づけた。鼻に甘く柔らかな匂いが届いた。ぼくは視線を逸らしながら言った。
「動けないんだ。救急車、呼んでくれる?」
緊張で声が上ずった。目の端で彼女を見る。彼女の目には涙がたまっているようだった。
「大丈夫?すぐに呼ぶね」
彼女は立ち上がった。ぼくは彼女に視線を向けた。彼女はカバンの中から携帯を取り出した。電話で話しながら、ちらちらとぼくを見た。こちらの状況を伝えているようだ。ぼくは彼女のすることを見守るしかなかった。数日前まで、ただの憧れの人でしかなかった彼女が、こうやって助けに来てくれる。あいつはどんな魔法を使ったんだろう。電話を切った彼女はベッドの真横で再度膝で立ち、ぼくに顔を近づけた。
「すぐに来るって。大丈夫だからね」
ぼくにというよりも、自分に言い聞かせているように聞こえた。彼女はぼくの右手のひらに左手を絡めた。彼女の手は冷たかったが、ぼくは気にならなかった。彼女が口を開いた。
「最後の力を振り絞って電話してきてくれたんだね」
彼女の目から涙が伝り、ぼくの手の甲に落ちる。ぼくは彼女の言葉を否定しなかった。
救急車のサイレンの音が近づいてきた。

#小説
#SF
#創作

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?