それは、日本人としての価値観なのか?

そもそも、なんで私は『日本人の考え方ってどこからきたのだろうか?』みたいなことを考えるようになったかというと。

学生時代、絶望的に英語ができなかった、から。

英語が苦手というよりも、英語を好きになれなかったし全くもって興味がわかなかった。一応、文系だと自覚はあったけれど、多言語を話すことにまで興味を持てなかった。そもそも日本語も不自由なのに、英語までって無理でしょ~って。

そして、高校生の時に『マイノリティ・リポート』って映画を見たときに、ストーリーは好きで(近未来SFが基本的に好きらしい)すごく面白かったのに、ストーリーに全く関係ないところで、登場人物たちが雑談で、笑っている理由が全く分からなくて、

その時に、あ、私って日本人なんだ、そしてトムクルーズ(マイノリティ・リポートの主演)はアメリカ人なんだ。

とようやく自覚した。そしてその時に、とりあえず私は日本のことをよく知ろう。で、外国に行きたくなったら、その時は他人を頼ろう。日本のことを話すから、あなたはそちらの国のことを教えて。って日本語で話して誰かに通訳してもらえばいい、って思った。

その高校生の時の決意は、今思えば、これをきちんと全うしていれば、決して悪い選択じゃなかったと思う。ただし、今現状、日本のことも極めきれないので、ただの英語を勉強したくないだけの言い訳にしかならなかったけれど。

とにかく、私は思春期に、自分の考え方が少なくとも英語を話すアメリカ人とは何か違うと自覚した。

とはいえ、それが日本人とアメリカ人と2通りだけと考えたわけじゃない。アメリカ人と違うけれど、じゃあ日本人らしい考え方、日本人ってどこから来たんだろうと思った。

世界史を勉強していると、王朝とか支配者が変わり国が変わるけれど、高校レベルの日本史だと日本は、一つの国が続いているということになっている。どこから日本人らしさ、がでてくるのか。今の考え方と江戸時代の考え方、今の考え方と平安時代の考え方、平安時代と江戸時代の考え方。

それが、同じや似ているかというとなんだか、違うと高校生のときに思った。でも、平安時代が一番近いのかな?教えてない平安時代の歴史があるのかな?とか思っていた。

大学で歴史を勉強したらわかるかと思って、歴史系の大学に進むことを決めた。

そして、古代の歴史を学び始めたら、ますますわからなくなりました。

平安時代って、私の知っている日本じゃないんじゃないか。。。と思えました。古文書の勉強で、近代も学んだけれど、近代もちょっと違う。

そして、歴史では、私のこの、日本とはどこからきたのか、という疑問に答えられないのではないか、と半ばあきらめたときに、必修で受けた、近現代史の特別講義で、糸口を見つけた。

それまで、近現代史というのは単に、総力戦の戦争ばかりというイメージが先行していて興味がなかったのです。

その近現代史の特別講義では、明治初期を扱った。

そして、これだ!と思った。


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