40年前、40年後。

ほぼ、丸一年noteを触ってないのに、時々いいねされていたりするこの不思議。きちんとブログとかやっている人が一年後にブロガーとして生計立てられるってのが、こういうのの、積み重ねなんだろうなと思う。

私みたいに何にも考えないで、ただストレス解消みたいに書き散らかしていても数年前に書いたものに、ぽん、と反応があるんだから。

考えて、実証して、反省している人が成果を上げられるんだろうな。

なんとなくわからないではないけれど、続かないんだよ、続けた人が正義ってのはわかるけれど。


という冒頭はおいておいて。

北国でも、クーラーのない自宅は寝苦しくて、休日にクーラーのある実家に避難して涼みながら、そういえばとnoteを書いてみる。

この一年なにしていたかというと、なにもしていない。

転職したいと思いつつなにもしていない。

しいて言えば、アニメみてた。

現実逃避したくなると、アニメに走る癖は10代について、30代になって結婚しても続くくせになるとは思わなかった。

黒子のバスケから始まり、psycho‐pass、三月のライオン、ガンダムウィングウィング、カードキャプターさくらで、今は弱虫ペダル。原作つきが多いけれど、声優好きもあってアニメのほうがとっつきやすい。黒子のバスケはとくにアニメに向いている話だった気もするし。

ついでに、ついにファーストガンダムも見ている。20話くらいからちょっと飽きてきてしまって今止まっているけれど、今見ても古く感じない(セリフとか設定とかはもちろん今から見るとなにそれ??ってのも多いけれど)。これが、原点か。というかこの時代のひとたちってやっぱすごいな、と改めて思う、何か才能の爆発が起こっている感じ。

春に亡くなった高畑勲、宮崎駿、冨野由悠季、押井守、とかの世代といえばいいのか、これの土台が円谷プロダクションとか手塚治なのかな?

40年前くらいからの爆発が、クールジャパンの土台で今、それが消費されつくされようとしているのを感じる。簡単に消費しつくせないような得体のしれない爆発を上にあげた人たちからは感じるけれど、それでも消費してしまう。

今すぐになんとかしないと、日本ってやばいよという話を偉い知人から聞いた。

今でもどこか感覚的に、それこそ40年くらい前から日本人の中にある日本人以外のアジア人に対する差別的なイメージ。日本人はいつからか、学ばなくなったのだ。

もちろん、受験勉強をして大学進学するひとは多くなったけれど、基礎学力は平均して上がったけれど、おそらくそれは下降する。

外国人労働者受け入れでイメージするのは単純労働者で、ここ数年はそうだろうけれど、おそらく10年もしないうちに上司が日本人以外のアジア人でとびきり優秀という時代になる。

都会だから地方だからとはなく、日本は今過去を消費しかしていない。

転職活動をうやむやにしている私自身が、10代までの努力や経験やいろんなものを消費して生きているだけのように、日本人は戦後という名の時代の何かを消費しているだけで、偉そうにしている。

消費しつくして、何か残ればいい。

私にはたぶん、何も残らない。残るような消費の仕方をしていない。

日本人もそんな消費の仕方をしているように思う。

小さな主語と大きな主語でしか私は世界を見れないけれど(世界を守る特撮が大好きだから)、私は自分と私の土台の世界の未来が不安すぎるのだ。

40年後、私はどうしているだろうか。

40年後、この国にはどれくらい幸せな人がいるだろうか。

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