10月私はこの世にいなかった。

10月、おおむね2週間会社をお休みして出社した。

年中無休の会社で、2週間も休むと、浦島太郎状態。いつもの業務をある程度任せていたけれど、細かい部分は自分と感覚が違うので、違和感が残るのでそれを修正するのに、だいたい1週間くらいかかった。

会社のほどんどのひとには、上司が気を利かせて『体調不良』ということにしてくれた。

先日まで元気だったので、違和感満載だったと思うけれど、それで押し通してくれたみたいだった。

それでも、年上のお姉さま方は感づくところがったようで、聞かれ方によっては素直に、誤魔化せるときは濁した。

せっかく、上司が気を利かせてくれたのだから、と。

なにが正解かはわからなかったけれど、隠しておかなければいけない理由は自分の中にはそれほどなかったけれど、周りが気を使ってくれるのであればそれに従おう、と思った。結局は、自分がどうしたらいいのかということすら、考えがまとまらなかったのだと思う。

体は正直、快調というレベルだった。

10月は生理もなかったので、精神的にも安定していたし、無理をしないように気を付け、体にいいものも食べた。おかげで体重は増えたくらいだった。

悲しみに暮れて、5キロくらい体重が落ちるとかいう可愛げは、私にはなかった。そういえば、ストレスで体重が増えるタイプだ、私は。

仕事は、いつもの3倍くらい丁寧にやった。気を使われているのもわかったので、社内ではことさら時間をかけて仕事をした。

実際、電話を取りながらメモをとるのに苦戦したり、パソコンのタイピングはいつも以上に遅かったり、たった2週間とはいえ何もしないと人間ここまで退化するのかと思った。

その調子に素直に、無理をしないで、できる範囲の仕事をいつもの2倍時間をかけて、見直しをしながら仕事をした。いつも、バタバタとあわてて、ミスは見つけた時、見つけた瞬間にカバーするみたいな仕事の仕方をするのに。

自分の調子に合わせて仕事する。ここまで、自分優先で生きてみるのははじめてだと思う。

いや、基本的に私はわがままだし自己中心的だけれど、基本他人優先で生きてきた。そっちのほうが楽だから。アドラー心理学とか勉強して、不便な生き方してるなぁとか思うけれど、結局他人優先でいたほうが、なにも考えなくても毎日過ごせるのだ。

10月、私はひたすら、これからどうするべきか考えた。

11月になって、思った。

10月、この世にまだいない存在を体に授かって、それを守れなかった私は、何というか、地に足がついてなかった。

死んでいたようだった、とも思ったけれど、それは何か適切ではないような気がして、ぴったりくる言葉を探した。

しっくりきたのは、この世にいなかった、という言葉。

夢現ーゆめうつつ、というけれど、うつつ、というよりも夢のほうに体と心が持っていかれていた感じだったと思う。

ふつうの人よりも妄想家で、どちらかといえば、夢のほうに持っていかれがちだけれど、それは心が主で、体はひどく現実的なほうだと思う。眠ければ、食べたければ、と欲望に忠実だ。

けれど、あの、妊娠に気づいてから、摘出手術をするまでの約3週間。

心も体も、この世ではない、どこかにいたような気がする。

そして、夢から、少しずつ現実に体と心を戻しながら、少しだけ決めたことがあった。

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