人はどこからきて、どこへ

思春期というか、そんな時代に誰もが考えていたと私は勝手に思っているけれど、『ひとはどこからきて、どこへ行くために生まれてきたのか』

私は少なくともそれを思春期に考えて、その手掛かりとして、日本人ってどこから来たのだろうか、日本人らしい考え方、思考ってどこからきたのだろうか、と考えて歴史学、日本の歴史を学びたいと大学進学先を選んだ。

で、まぁその問題について大学でわかったか、というとその方向性は何となく見つけたけれど、答えにはたどり着けないままタイムリミットを迎えてしまって卒業した。卒業しないで、考え続けるという選択肢を選べなかった。今考えれば、いくらでもその道はあったと思うけれど、常識的に一般家庭の私は、四年制大学を何流でもなに学科でも卒業して、就職しなきゃ、と思っていた。

で、その答えを保留にしたまま、卒業して約10年。

色々と躓いてしまった。

躓きながら、どこで躓いたかなと思っていると、10代から20代前半で避けまくってきたことを30直前くらいからなぜか向きあったり取り組んだりしている。もしかして、私は人生においてやり残してきたことがあるのかもしれない、と過去を振り返る。

そして、どこからきて、どこへ行くのか、問題を中途半端にしてきたことを思い出した。

自分はどこからきて、どこへ向かうのか、という問題に対して、自分というのを日本人に置き換えて考えて、日本人というのがどこに向かうのかを考えている。それは、どこかずっと自分の心の中にある。

もちろん、自分が日本人を代表する考えの持ち主であると考えているわけじゃない。むしろ、自分の考え方は、日本人らしくないかもしれないぐらいに思っている。

それでも、一般的な日本人っていうのがなにを考えて日本という国になっていったのか、そして日本という国がどこに向かっていくのかが私にとって、ずっと一番大きな関心事であることに間違いはない。

でも、学生を卒業して、この一番の関心事に正面切って向き合ってきてない。

もしかして、他のひとって、こういう一番の関心事を職業にしているんじゃないか?という疑問が沸々と最近浮かんできた。

自分らしく生きるとか、自分が好きなことして生きる、とか。

そんなことを挫折してから色々考えて、失敗続きだったけれど、一番の原因は、一番の関心事と向き合ってきてないからなんじゃないか?

で、何かに文章を綴って考えようと思った。

でもなかなか始められない。この文章も半年くらい考えていた。

たぶん向き合うのが怖い。正直いうと、これが自分にとっての最後の砦みたいに思っているのだと思う。自分らしさ、みたいななにかの。

これで、なにも答えが出せなかったら?

もしかしたら、自分はこれから先も、どうしたらいいのだろう、ああ、また失敗した、ここも自分の居場所じゃない、みたいな思いをずっとしながら生きていくのかもしれない。

そんな風にどこか考えている。

ネットのどこかでみた。

自分の全力を全知識をさらけ出さないと、なにも始まらない、的な文章。

まずは、まとまらないながらも吐き出していかなければ。

今の私には、とりあえずどこかに書くしかない。それは、個人的なノートだと、途中でやめてしまうからダメで。こういうところでも、10割9分途中でやめてしまうかもしれないけれど、でも出来るだけ向き合わなければならない環境をつくらなくてはいけない。

そうして、吐き出したうえで、やっぱり駄目ならダメで、諦めを付けよう。

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