賢いとは、伝えることができる技術者。
伝わる12文字。というのも書いてみたけれど、伝わる、ということにちょっとこだわりがあるようです、私。
私は賢いひとになりたいひとだけれど、私の中で賢さの1番の姿は、どんな人にも自分の考えを伝えられる人なのだ。
話すこと、書くことは、まぁ言ってしまえばだれでもできると思う。
でも、相手が理解できるレベルで伝えられる人は、伝えたいと思った人のなかでどれくらいの割合なのだろう。
知ることは単なる欲望だと思うけれど、知ったことを伝えることは社会貢献だと思う。
伝わること、伝えることに、意識が向きすぎて今日もうまく伝えられなかった、とコミュニケーションが面倒くさくなっている私ですが。
つまりは、誰にでも伝えられる賢いひとになりたいのです。
どんなに知識があっても、技術があってもそれを伝えられないということは、人間社会にとってないに等しい。
このテキストも思っていることの1/10も伝えられない気がする。
思っていることの半分も言葉にならない知恵の少なさが歯がゆい。
身内だけで、通じる言葉を持っていてもそれは、どんなに知識が深くても賢くはない。炎上しても嫌われても、その言葉が多くの人に真意が伝えられるのであれば、それは賢いひと。
なんだか、どこに向かっているのかわからない。
まったく伝えられない。
つまり、今の私は賢さの真逆にいるのだ。賢くなりたい。
賢くないから、今は毎日noteに書くのだ。
自分がどれほど、賢くないのかを自覚するために。
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