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斜向かいのひとを殴る。
和とか環とか輪とか。つまり、円上の表現ってやっぱり平和だと思う。
自分と、その両脇だけが関係者。つまり、自分の右手か左手が届くところだけが関係する。
あさっての方向のひとと、関係しない。
だから、円って平和何だと思う。
もちろん、たくさんの輪を持っていて、その中にはあさっての方向の人もいるかもしれないけれど、基本的には何かを関係する人。
戦争とか喧嘩って、大体のところあさっての方向のひとを殴りに行ってみんなが傷ついている気がする。
あとは、対等だと思っていた右手か左手の人が対等じゃなくて段差があったり、すごく背伸びしたり腕伸ばさなきゃいけない時。
そんなことを、やっぱりどうしても仲良くできない人とどうしても協力しなきゃいけない場面になって思った。
私は、たぶん誰とでも仲良くできるようなできた人間じゃないんだ。
ちょっとでも段差があったら、妬みを持っちゃうし。ちょっとでも遠いと思ったら手を離してしまう。
直したほうが、うまく人生を歩んでいけると思うけれど、
うまく生きない生き方を選択してはいけないんだろうか?
右手と左手。
たくさんの輪を持たなくても、たくさんの輪を持っているひとと仲良くしたらいい。
たくさんの輪を持たなくても、右手と左手だけでもしっかりと向き合ったらいい。
そういう人生の選択は、ダメなのだろうか。
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