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5歳の記憶。
ここ数カ月、本当に色々うまくいかないので、自分とは何者だろうかと考えてしまう。
このごろ、アドラーを読んでいるので、過去は関係ないってのは知っているんだけど、どうしても過去の何かに縛られているのかな、と考えてしまう。
で、考えた結果。
一番古い、つらい記憶はたぶん4歳か5歳。
幼稚園に入学する前だったか、入学の日だったか覚えていないけれど、その時の記憶。
幼稚園で、保護者だけが説明を受けていたのか、子供だけが部屋でおもちゃで遊んでいた。
そして、別の部屋にくるようにせんせいに呼ばれたときのこと。
他の子たちは、その場におもちゃをおいたまま一斉にその先生のもとに走った。私は、おもちゃを元の場所に戻し、他のおもちゃを目のしてちょっと絶望的な気持ちになった。
これ、全部片付けないと部屋から出れない。
私は、その当時どんな状況でも、おもちゃは片付けてからじゃないと別のことをしてはいけない、としつけられていてどうしても守らなければいけないことだった。
なので、その場にある、たとえ他の子が遊んだものであっても自分が片付けなくてはいけないと、とっさに思った。
と同時に、せんせいに呼ばれた、ということはすぐにいかなくてはいけない。やらなくてはいけないことが2つ発生した。
4~5歳の要領の悪い私は若干のパニックと絶望的な気持ちに陥っていたんだと思う。どんなに頑張ってもせんせいから怒られてしまう、と。
ところが、すぐあとにせんせいはみんなを連れて戻ってきた。せんせいは、まだその部屋に子供が残っていたことにちょっとびっくりした顔をしていたように思う。
『偉いね、みんな○○ちゃんみたいに、おもちゃは片付けてから移動しましょうね。じゃあ、みんなも片付けてね』
みたいなことを言った。
怒られると思っていたのに、ほめられてびっくりしたし、当り前のことをしていたのにほめられてすごく混乱して恥ずかしかった。
そして顔をあげたときに、別の子が声を出したのか、顔に出ていたのか忘れたけれど、その子が何を思っていたのかだけは想像がついて覚えている。
『ただ、とろかっただけじゃん。なんでこの子がほめられているの?』
と睨まれていたように思う。
その子は一番に部屋を出て、一番にせんせいのもとに駆け付けていたように思う。当然、ほめられると思っていたのに、のんびりしたトロそうなのがほめらていたのがきっと面白くなかったんだと思う。
それが、すごくこわかった。
それから、正しいことよりもみんなと同じことをすることのほうがいいんだと思うようになった気がする。
みんなに嫌われないことのほうが、正しいことよりも優先するべきことになっている気がする。
だから、私は、じぶんのことを優先できない。
じぶんが正しいと思うことも優先できない。
だから、いつも疲弊する。みんなが正しいと思うことはわかっているけれど、それを表明することも怖いし、自分が正しいと思うことも言えない。
これは、結構自分の基盤になっちゃっている気がする。
これは崩したいな、て最近思うようになったのだけれど、すごくエネルギーが消費されてしまう。いつも疲弊しちゃっている私には、とても困難なのです。
できない理由ばかり並べてとおもうけれど、
頭で気づいちゃったことを行動に移すのはやっぱりエネルギーが必要で、いつの間にか動いちゃっているのと違う。
いつの間にか、どんどん動けているそんな熱中できるものに出会いたい。
熱中できるものに出会うのも、量を動かないと出会えないもの。
やっぱり、私の今の生き方、量が足りない。
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