家族、を外注。

女だから、子供を産むから、家族を優先するから、

そんな理由で収入やキャリアで差別を受けるのはどうにも気に入らなくて、でも確かに、小規模な職場で働くと急な休みは困ってしまうのも事実。

自分や家族を優先することは当り前だけれども、それでも”ムラ”のからはみ出さないように生きるは、島国日本の生存本能だと思う。

そもそも、なんで女の人が、育児や家族を優先するか。

日本の歴史しか知らないけれど、元来日本の結婚とは家同士、家を繋ぐためのもの。今でもそうだけれども、その意味はもっと深い。

正妻が何らかの理由で死亡した場合、その正妻の実の妹と再婚することは、第二次世界大戦のころまであった。

それだけでなく、兄弟と姉妹のいる家族同士の結婚では、兄は姉とも妹とも子供を作ることがあったのは、残っている家系図から推測できたはず。有名な家系図があったはずだけれど、大学時代の資料が探し出せない。。。

とにかく、家同士をつなぐための一大事業が結婚で、そこに恋愛感情とは別のものだったと思う。もちろん、恋愛感情があった人たちもいたと思うけれど、自分と家族とその未来をつなげるため。

いい家とつながることは、生きていく食っていくために必要で、生きていくためには子孫が必要で、古代は食べることも子孫を残すことも、今じゃ考えられないくらい大変だった。

そんな時代からある、家族っていう制度をそのままにしているから、どこかにひずみがでるんでしょ、と思う。

家を繋ぐために、子孫が必要だったから妻、という立場には家において重要な権限があり、家事を仕切ることもその役割の一つ。家族の中で、夫は外で狩りをし、妻が家のことをするという役割分担。

大きな家になれば、そこに血縁を超えて、家老や乳母などが入り込んでくるけれど、家族というのはいわば家を繋ぐためのシステム。それが必要だったのは、多くの社会の組織が家族が一つの単位だったから。

大工の息子は大工になるし、薬屋の息子は薬屋になる。基本的に家業は家族によって、技術継承がされ世襲が基本。

世襲は、子供が生まれないと技術も家業も存続しないから、子供を産める妻、というシステムが必要だったのだと思う。

そのシステムは、長く見積もって第二次世界大戦敗戦までは有効だったかもしれないけれど、財閥も解体させられて、庄屋さんもいないような世界で家をつなげなければ生きていくことが困難な家ってどれほど一般的なんだろうか。

もちろん、家を繋げなければならない家業を持っている人もいる。歌舞伎とか伝統芸能の世界は、ある程度必要な世界かもしれない。けれど、多くが家業が持っていない、家業があっても継ぐ必要はない、そんな人が大半だと思う。

だったら、家族のシステムを変えてもいいでしょう。

家族役割を分解して、いろんな形のかぞくがあればいいんじゃない?と最近考える。

家事を外注。食事を作る、掃除をするをもっと気軽に外注できればいいのに。それはもう始まっているのだと思うけれど、それがもっと一般化すればいいのに。

夫婦が、男女じゃなくてもいいし、結婚も恋愛した男女じゃなくていいし、男女どころか友人同士が家族でもいいし、妻や夫のほかに恋人がいてもいいし、血のつながりのない子供を養ってもいいし、親を子供が選んでもいい。

家族は、どんな形でもいいし、家族は家族以外のひとに役割をもってもらっていい。家族の役割を外注にもっとだせればいい。

なにを持って、家族の役割を果たすかは、自分で決められればいい。

家族以外の人と、もっと子供の時に関わりを持っていればよかったなと思う私だから思うのかもしれないけれど、

今の家族は家族じゃなくてもいいことが多すぎる。

昔の大きな家の家業には、番頭さんも下男も下女もいて成立していてのだから、みんなで豊かに暮らしたいと思ったら、家の仕事を外注にだすしかない。

そうしたら、世界はまた天地がひっくり返るように変わってそれについていけない人も出てくるだろうけれど、そういう風に世界は変わってきているんだろうと思う。

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