「このままずっと、ずぅーーっと永遠に生きていくのか。嫌だなぁ。」




夜瞼を閉じると浮かんでくる、先の見えない道を必死に走りながらそう思っていた。

幼稚園生とかそのくらいの頃の記憶でよく覚えている事の一つだ。
出てくるその道も当時住んでいた団地の前の道だし、隣町の間にある看板とかも並んでいた。

きっとこの頃「死」を知らなかったし、人生は永遠だと思っていた。



中学生の頃、身近な人の死を初めて経験した。

母方の曾祖母、老衰だった。

対面すると、ただただ寝ている様に見えた。

火葬炉に入っていく時、ボタンが押された時、炎の音が聞こえた時、骨上げをした時
どんどんと「死」が近くなった気がした。

流石に「死って何?」というほど物心がついていない訳がなく、理解はしていた。
ただ、身近な人が死んだという出来事で、

「死が有り得る」、「死が迫っている」

と何処か恐怖にも近い何かを感じた。



高校生の頃、父方の祖父を亡くした。

入院していたところ、インフルエンザに罹患し亡くなった。

電話で罹患したことを聞いた父は、

「インフルエンザに罹っちゃった。」

と大声で泣いていた。

母が父の背中を擦る中、私は何だか怖くなって自分の部屋に逃げた。
父が泣いているところを見たことがないという恐怖もあった。

元々痩せ型だった祖父だったが、更に痩せていた。
でも想像していたよりも優しい顔をしていた。

やはり火葬の瞬間はいつになっても苦手だなと感じた。

葬儀の後だったか前だったか、タイミングは忘れたが
夜ご飯に祖父の大好物だったというウニ丼の出前を取っていた。

備えた後、一番若かったのでウニ丼を貰った。
父もウニが好きだったので少し分けた気がする。
ウニを食べる時、私は頭の中でこの時を思い出す。



大学生の頃、父方の祖母を亡くした。

大学生の頃は実家にもあまり帰らずにいたし、祖父母に会いに行くことも少なくなっていた。
入院していた祖母に会いに行った時、何だか小さいなと感じた。
でも元気に見えたし会って安心した。握手もした。写真も撮った。

しばらくして祖母は亡くなった。

何故かは記憶にないのだが、葬儀に出席しなかった。
父方の実家が首都圏にあった事と、テスト期間に被っていたか何かだったと思う。

実際に姿を見ていないし、葬儀にも出ていないのでまだ実感は薄い。
長い間会っていないだけで何処かにいる気がしている。



社会人一年目、母方の祖父を亡くした。

入院していることは知っていたし、病院にも何度か足を運んだ。
体格の良かった祖父がどんどん痩せていく。

会社をやったり水墨画の先生をやったりしていた祖父。
絵、写真、パソコンだとかなんでも触らせてくれた祖父だった。
アトリエにはたくさんのカメラや水墨画の画材。
そこに籠もっている祖父も、スポーツカーをいきなり買ってくる祖父も趣味に生きていて憧れだった。

だけど、病室には小さいテレビだけ。
何だか悲しくて、
会いたい気持ち半分、会いたくない気持ち半分だった。

「もう長くないかもしれない」と聞いてはいたし、覚悟はしていた。
残業から帰ってきてLINEを見ると、「亡くなったよ」と母親からLINEが入っていた。

仕事が黒で精神的に参っていた私は、ものすごく泣いた。
帰ってきてすぐ温めたコンビニのラーメンも忘れて泣いた。

翌日、いつも通り朝一に出社し、所長に一言伝えすぐに仙台駅から新幹線で向かった。

車で迎えに来た従兄弟。私のひとつ下とふたつ下の従兄弟が来た。
大学生や社会人は学生服で参列する訳にはいかない。
そのまま洋服の青山へ向かった。
ひとり新幹線で向かう私、カードで支払う従兄弟、車を運転する従兄弟。
みんな大人になったなと思うと同時に「死」が近いと感じた。

祖父に対面すると最後に会った時よりも痩せていた。
冷たかった。出棺の時、父と私は泣いた。

祖母は見たくないと骨を拾わなかった。
私は骨を拾い、父に駅まで送られ仙台に帰った。

それから数週間で私は仕事を辞めた。



社会人三年目、コロナ禍も二年目に突入した頃。
母方の祖母を亡くした。
曾祖母が亡くなるより前に一度倒れ、ずっと車椅子生活だった。
最初は喋るにも呂律が回っていなかったが、最後は普通に話していた。
車椅子を押してイオンを回ったりなんかもした。

転職し、精神面も安定していた私は普通に仕事をしていた。
ただ、転職してすぐコロナがまん延し祖母に会う機会は減っていた。

出張で平日は盛岡のホテル住まい、休日は仙台という生活を送っていた頃。
祖母も転院を繰り返していた。
「もう長くないと言われたけど実感がわかない」と母親からLINEが来ていた。
金曜、LINEを見ると亡くなったとLINEが来ていた。

仙台へ向かう帰りの新幹線。祖母宅の最寄り駅あたりで祈った。

出入り口付近が好きな私は、あいも変わらずはやぶさの2番E席。
祈った後、扉が開いた。誰も乗ってこないし、誰かが立っている気配もない。
全身の血がサーッと巡る音だけ聞こえた。そこにいるのかなと私は思った。

ご時世も会って県外の私は葬儀に参列しなかった。
しばらく経ってから仏壇に手を合わせた。

まだ実感が湧いていない。どこかにいるのかなと私は思っている。

ただ、車椅子を返却したり実家の福祉車両も買い替えかなぁと言っているのを聞いて、
本当にもういないんだと感じる。



最近会社で訃報を見る。
会ったことも聞いたこともない人だが、現役世代の人が亡くなっている。
喪主の続柄に父や妻と書いている。

老後はああしよう、こうしようとか思っている間に亡くなってしまうのだ。
病気だったのか、事故だったのかはわからない。

でも、人は必ず死ぬ。それはいつかはわからない。
私はこれを書いている最中に死ぬかもしれない。

今やっていることは本当にやりたいことなのか?
今死んで後悔しないのか?



アラサーになり、終活を始めた私。
今ここを生きるために。