或る極簡主義者#2

この自宅(城)で心穏やかにぼぅっとすることが何よりも至福の時間だ。
以前は月六万円くらいの新築アパートに住んでいた。エントランスと玄関がオートロックの立派なアパートだった。
真っ白な部屋にバス・トイレ別。お湯はりも自動でやってくれたしインターネットだって無料だった。
今の自宅(城)はどうだ。築五十年近い昭和感漂うアパートだ。二重ロックなんてもってのほか。集合ポストには当初鍵がなかったので郵便物が盗まれたりもした。
ユニットバスだしインターネットは有料のくせにVDSL方式だから割高に感じるので解約した。
それでももう6年近く住んでいる。
前のアパートが2年、大学時代のアパートが四年弱だから一人暮らしを始めてから一番長く住んでいる。
よく考えたら実家も中一の夏に引っ越して十八までしかいなかったからそろそろ抜いてしまう。
ここまで私を骨抜きにしたこのアパートの素晴らしいところは、鉄筋コンクリート造の防音・遮音性の素晴らしさと都市ガスの格安さ、そして何よりも水道代込で月三万円ちょっとという仙台にしても破格の家賃だ。
「生活水準は一度上げると戻すのが難しい」と言われているので、当初は次の物件までの仮住まいとして契約した。安さに慣れてしまった私は生活水準を上げるほうが難しくなってしまった。ずるずると契約更新をして今だ。

私がミニマリストになったのは前の新築アパートで暮らしていた頃だ。そこからモノの増減はあれど、少しずつ少しずつ総量が減っていきついにこの身ひとつで引っ越せるくらいになった。
この量になってからもう二年くらい経つが、減らせるものがなくなった私は自分の身も減らし始めた。
当初70kg前後だった体重も60kg弱くらいで落ち着いた。誰に見せるわけでもないが、軽ければ軽いほどよい。それが私の考えだ。
この荷物も来週には更に減らすことができる。
仕事を辞めるからだ。次のことは何も考えていない。
でもなんとかなる。ミニマリストになったときもそうだったからだ。

約二年の間変化することのなかった持ち物が退職によって大幅に減る。
久しぶりの経験に胸が高鳴り、なにもない空間で小躍りする。
多くのミニマリストインフルエンサーは「減らすことは目的ではなく手段だ」という。
私は減らすことが目的になってしまっている。でもそれでいい。私のミニマリズムだから。
減るものは社用iPhoneと名刺だとか貸与品、あとスーツと革靴だ。
こんなに大幅に減るのは今後の人生死ぬときくらいだろうな。いや死ぬときはもうわからないか。
なんて一人で笑いながら会社用の荷物をまとめてみる。
ざっと4,5kgくらい減るだろうか。
「あ、iPhone返すならLightningケーブルもいらないか」と思って、ガジェットポーチとは名ばかりの巾着からケーブルを一本取り出す。
いつか会社をやめようと思って買い直したりせず、補修して使い続けてきた此奴らと分かれるのはなんだか寂しい気もする。
こうやって手放す予定ができたものを一度集めて眺めるのが昔からの癖だ。