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海って言うから #4

料金所から遠ざかるに従って次第に信号は減り、車も減る。
爽快度が増していく最中に、車は海沿いの一本道に出た。
瞬間、いつからかニヤニヤしていたバギーは両側の窓を開ける。
わかってんじゃん。私もニヤニヤ。

心地のいい涼しい風とともに潮の匂いが車内を洗う。
すれすれのガードレールの程なく先に目線の高さくらいの堤防。
真横では海は見えない。が、行く先を眺めてみると海岸線に沿って湾曲した堤防の裏側に、何艘かの漁船が停泊する直線的な陸地が見えた。

「あれ、港?」
「そう。小さい港」

打てば響くような素早い返答。高速を降りると再びバギーは調子がよかった。

「防波堤の先の方見てみ」
「ん、防波堤?」

海岸沿いの茶色い壁をずっと向こうまで目で辿ってみる。何もない。

「釣り人多いな」
「え、どこ?」
「防波堤。海に突き出てる」

港を囲む海に目をやると、港からこっち方向に突き出た細長い長方形があって、そこには原色を纏った釣り人が複数人いた。
示し合わせたように等間隔に並んでいる。

「あー、わかった。あそこね」
「言っとくけど、これ堤防ね」

言うとバギーは左手で小さく、私を通り越して先の真左を指差した。

「防波堤ってのは海に突き出てるヤツ」
「へー、違うのか」
「そう、別物」

バギーは本調子だ。

コンビニから出てきた黄緑のバイクが、多分私たちと同じくらいのスピードで駆け抜ける。すれ違う瞬間の音はけたたましく、思わず体が強張った。
まっすぐの道を走っていく爆音が遠くなっていく。あのままどんどん加速したんだろう。

「ああいうのって、耳悪くならないのかな?」
「な。なりそうよな」
「意味がわかんないわ」
「まあそんなバカにせんと」
「いや、バカにする気はないけどさ、何がしたいの?って思って」
「もうそれはほぼバカにしてるよ」
「うーん、難しいなあ」

ここで会話が途切れる。一瞬横目でこっちを見たバギーは、私が何か言うのを待っているようにも見えた。でも特に何も思いつかない。

沈黙をポルノグラフィティがつないでる。聴き慣れたサウンドを潮風がそこらへんにぶちまける。
気まずくなるべきこの時間は、それはそれで心地がよかった。
焦ってるんだかないんだかわからないバギーの横顔は、可愛くない。
それが続くうちは、私は何もしてあげないことにした。

海に目を移すと、さっきの白い船がパッと見ではどこにあるかわからないくらい居場所を変えている。そもそも高速から眺めていた景色とは、角度も倍率も少しずつ違う。水平線の右端は緑の山が大きく立ちはだかっていて、白い船はそこに向かってスライドしていた。
多分次に気がついて海を見る頃には、船は山の裏側に消えてしまっているんだろう。車の進む方向だけが船を山から遠ざけている。
口のないクジラに小魚が向かって行ってるようにも見えた。
そのイメージのまま車はしばらくの松林に入る。

バギーの顔はさっき見たのと同じ。やっぱり可愛げがない。音楽に乗って体は小刻みに揺れている。
ずっと余裕があるこの感じも気に食わない。このためにいちいち私が時間も神経も使っているということを考えると、それはもはや腹立たしかった。

「あそこの港で停めるわ」

50%ニヤけた顔のまま、バギーは木と木の間の小さいコの字を指差して、また一人に戻った。
それで仕事を果たしたつもり?
イライラが先行していた私はちょっと意地を張って、でも結局理性が追いつく。この人、意地悪したいわけじゃないもんね。

「ラジャー!」



気配がしたのか足音が聞こえていたのか、グレーの背中がようやく振り向く。

「ロイさん」

足元の白線からだいぶマージンをとって、車が通っていく。

「思ったより狭かったわ」

確かにこの細長いエリアは、横に二人並ぶにはあまりに怖い。

「ミスったー」

開き直ったようにバギーの口角が上がる。笑えってこと?

「ミスったってさあ」

私は笑わない。多分笑おうとはした。

「大人数だったらどうしてたの。普通一列でこんなとこ歩く?」
「いっぱい人いたらちゃんと向こうの歩道歩いてたんじゃないの」
「なんで私だけだと狭いとこ行くの」
「あー」

何も考えてなさそうだ。まあいいや。私が切り替えるしかない。

「そもそも今回誰誘ったの」

尋ねると、バギーは思い出そうとするように目を閉じた。そのまましばらく固まる。
忘れっぽいとこはあるけど、なんで連絡とった知り合いの名前思い出せないのよ。

「あのー、藩ちゃんとか」
「まあでしょうね」
「ミーアとか」
「へー」
「とか色々」
「なんかどっちも忙しそう」
「うん」
バギーは下を向く。

「忙しそうやったなあ」
「藩ちゃんたちは多分今日サバゲーでしょ?」
「今日かな?そうだった気もする」
「サークルのメンバーほとんどそっち行ってない?」
バギーはゆっくり首を傾げる。何の返事もない。
「ミーアは今授業ないから実家帰ってるでしょ?」
「あー、確かそう」
「こないだ親にスマホ変えてもらったかなんかで、新しいアカウントに変わってたもん」
「そうなんや」
バギーはいつも通り、興味なさげに相槌だけ打つ。

「てかさ、それならなんで予定ずらさなかったの?全員集まれる日あったんじゃない?」

そうなれば、私もこんなに気を揉まずにすんだはずだ。

「あー、俺今日以外ダメなんよねえ」

再びバギーは苦しそうに目を閉じる。いつからそんな忙しい人になったんだ。

会話が途切れて、まっすぐ歩く前の男の顔はやっぱりまた見えなくなった。
多分そのせいでソワソワしてくる私。バギーが振り向かない限りは向こうの顔は見えない。
それってなんかズルくない?せっかくここにいない人たちの話で私だけのカオスを紛らしてたのに。


目の前では松林が海岸線と車道を剥がしていく。やった、道が広くなった。

さっき車で通った松林は、車道を挟んで向こうにグラウンド。端っこの方で少年たちが何人かで遊んでる。

「あんだけのスペースあんのに、あんなちっちゃく遊ぶんやな」
「ホントだね。貸切状態なのに」
「さっき通った時、この子らおった?」
「いやー」

思い返すと、松林を通り抜ける間私は終始意地をはっていて、そんなことには注意を払っていない。

「俺はおらんかったような気がするんやけど」
バギーは私をあてにするのをやめて自分の記憶を辿りだす。別にどっちでもよくない?
「じゃあさっき来たばっかりかもね」

バギーがずっと子供たちの方を眺めるから、私もそっちを向いている。でも全くもって何をしているのかは見て取れない。

「あれ何やってんの?」
「キックベースやろ」
「何それ」
「野球みたいなもんやな」
「野球?」
テレビで何度か見た光景を思い返す。
「全然人数いないけど」
「ああいうもんよ。子供同士で遊ぶ時なんかああいうもん」

二人で眺めるフェンスのないグラウンド。確かに広大なスペースの割に子供たちは小さくまとまってる。よく見ると子供たちがいるのと逆側はなんとなく緑で、白と緑の境目は曖昧だった。

「グラウンドっていうよりは広めの公園みたいな感じかな?」
「そうやな」

気づけばバギーの顔は笑っていた。

「こんなんして遊んでたわ」

独り言にしては大きなボリュームを口から逃して、でもそこにある何とも交わらないような目線が固定されている。周りの木々は風に揺れて、葉の触れる音もする。男のズボンも靴紐も風になびく。
背景があくせく仕事する中で、視界の真ん中にいる男の本体は動かない。
静かで、心地よくて、頭の中の世界のようで。遠く知らない場所での迷子の感覚に一瞬クラッとして、気がつけば私も背景だった。
そのまま静かで、心地よくて。
そして、静かで、心地いい。

固定されていたはずの目がおもむろに私を向く。え。

「ロイさんはどんなんして遊んでた?」

え。

「私?」

矢印が急に刺さったよう。なんで?そんな。刺さった私は苦しい。

バギーはいつからか目を逸らしていて、それがわかるとだんだん苦しくなくなっていった。


黙って歩けば、バギーはただの横顔になる。
まただ。ズルい横顔。こんなものずっと見せられてるこっちはたまったもんじゃないわ。
自分の中でそう言ってみると、なんだかやっぱり腹が立っているような気がした。件の横顔を排除して、私は海を見つめる。

視界の右下から斜めに伸びた防波堤に、さっきも見た釣り人がさっきと同じルールで並んでいる。もしかしたらあの時から誰一人動いていないかもしれない。
全く動きがない分を補うためか、全員が全員ビビッドに着込んでる。ちょうど太陽が隠れた時間帯だったこともあって、堤防は暗い。私以外も全員寒そう。

右奥に山。残りは塩水。ひとしきり眺めて、目の前の景色が見慣れたものになると、なぜだかまたソワソワしてきた。松林の手前で前を向いて歩いていた時と同じ手触り。気にしないフリしても無駄だったんだと気づく。
あー、恥ずかしい。

努めて景色を見ている間も、ずっと。
確かにね。
私がうまく使おうとした帽子は、私の顔だけじゃなくて、視界の外へのスパイまでも遮断してしまう。
ついさっきズルいズルいと反発した私。でも捨て身には絶望的に向いてなかった。

ズルいって言うからてっきり私にもできると思ってた。


「思ったより遠かったな」

テキトーに歩いて辿り着いたのは車でも通ったコンビニだった。

「これさっき通ったとこじゃない」
「そうよ?」

わかってたのか。それならテキトーに歩いてるとは言わないのでは。

お弁当を前に腕組みしてグルグルするバギーを尻目に、サンドイッチとホットコーヒーだけ買ってそそくさとコンビニを出る。
これでようやく一人になれた。
しばらくズレていた違和感満載の水着をちょうどいいところに落ち着ける。

息継ぎのような時間。駐車場の端っこ。
ひなたに背中を預けて、バギーが出てくるまでスマホをいじって待つ。寒い中歩いて、ちょっと肩が凝った感じもする。そういう意味でも今は安息。
それにしても男の方は、ずっと二人でいるのに、今のところ特にこたえている様子もない。

ミーアからの通知が来て、スマホが震える。

“ごめんけど、バギーの連絡先持ってない?”
“スマホ変えた時全部消えちゃって笑”
“あんまロイちゃんに頼むことじゃないと思うんだけど笑”

なんだかスッキリしてない私。一旦画面から目を離して、頭で状況を整理。
なんとなく、鍵はここにある気がする。逃せない。
レジに並んでアクビする男の連絡先を送る。

                                                “これね”
ミーアの返事は早かった。

“ありがとー”

ちょっとずつスッキリしてきた私。おそらく、もう核は見えた。
           
              "連絡とってなかったんだ笑”
                            “スマホ変えてから"
“うん、とってない笑”
“最近会ってないしね”

急転直下。
今が不穏だとしたら、今までずっと不穏だった、なんて。
私けっこういいこと言うね。


企画倒れって言うからてっきりズボラかと思ってた。

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