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あの夏の空

大学の夏休みは小中高のそれよりも長かった。

ずいぶん昔のことだから、はっきりとは思い出せないけれど、
2か月くらいはあったと思う。

多くのクラスメイトが、そのほとんどの期間を地元(親元)に帰って過ごしていた中、私はほとんど帰らずに一人の部屋に留まった。

帰ったところで落ち着ける自分の部屋もない。
大学生になったところで、母の監視癖・干渉癖は変わらない。

あんな息苦しい場所になんて帰るもんか。

学生たちが消え、町の輪郭や色合いがすこし薄くなったかのようなその場所で、私は何をするとはなしに過ごしていた。

サークルにも入らず、アルバイトは帰省する友達に頼まれた「夏休み期間中の代打」家庭教師が週に2~3回。

人とつるむのはうまくできなくて、ほとんど一人で過ごしていた。

サークルなり何なりに参加して、飲んで騒いで恋をして。
振った振られたくっついた、のすったもんだの渦中にいることが「普通の大学生」なのだろうと思いつつも、それができない自分をどうすることもできなかった。

エアコンのない部屋で、水を入れると扇風機よりもちょっとだけ涼しい風が出る冷風扇の前に寝転がり、好きな音楽を聴いたり雑誌を見たり何かの妄想をしながら無為に時を過ごしていた。

何の予定もなかったその日。
朝から頭痛がしていて、ずっと横になっていた。

19時も過ぎた頃だったろうか。
頭痛も少しマシになり夕飯でも作ろうかと起き上がった。

窓を開け、ベランダに出たその瞬間、忘れられない空を見た。

ポコポコといくつも浮かんでいた雲が、オレンジピンクに輝いていた。
光り輝くその光景に、「うわぁ」の一言だけを放ってとどまった。

夏の太陽は足が長い。
少しずつ遠ざかるその足が、輝く雲の色を少しずつ変えていく。

時間にすればほんの数分。
けれど何十年たった今でも脳裏に焼き付いている。

「美しい」「極上」などの言葉では平凡すぎる。
その時の感覚・感情を、言葉ではうまく表せないけれど、
「幸せ」で「何かがふわっと膨らんでいくような心地よさ」があった。

小さな頃から、自分の意志や感情を母に押さえつけられていた。
「ピンク色の服が着たい」
「隣の子が食べているあのお菓子を食べてみたい」
「盆踊りに出てみたい」
些細な「~したい」も母の意向にそわないものはすべて否定された。

ランドセルや学習机など、私だけが数年間使い続けるような「個人的なモノ」でさえ、私の希望はひとつも聞かれなかった。
親が用意したものを「気に入ったふり」をして使うことだけが許されていた。

何かをやりたいと言っても、
「宗教が許さない」か「お金がない」のどちらかのパンチで叩き潰された。

やりたくないことばかり、
「子供は黙って親の言うことを聞くものだ」と強制された。

嫌だという感情を表に出すことすら否定され、
鉄の鎧で全身を外からガチガチに固められたような子供時代だった。

だからずっと決めていた。
「高校が終わったら、絶対にこの家から出ていく」と。

長く抱いたその夢が、ようやく叶った夏だった。

中にも外にも人はいなかった。
オレンジピンクに輝く空しかなかった。
忘れられない夏の夕焼けだけがそこにあった。

「何かが良くなっていく感じ」だけがした。

心がほどけた瞬間だった。


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