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とぽろじー

自分に似ている人間の魔力は、尋常ではない。

お恥ずかしながら、大学に入ったというのに全然ブログを更新できていない。恥ずかしい。高校生の頃の私にこの状況を伝えたら「一体お前は何のために大学に入ったのだ」と修正を食らいそうなレヴェルで恥ずかしい。

しかし、私は何も書くまい書くまいとそこに情熱を燃やし、躍起となって筆を置こうとしているわけではない。一つ、夏ごろからずっと落語してきたのがある。これが純粋に痛い。落語というのは話を選び、尺に合わせ噺を整え、稽古をする。これが、大変に時間を使う―時間を「使う」ものとすればの話だが―のだ。しかも人前で披露するものであり、笑いを取る試みでもある。中途半端な力の入れ方は許容されない。入学以前の私の想像より、はるかに時間を使わねばならない。不覚だった、と言わざるを得ない。

ただ、もう一つ、明確に筆を執らなくなった理由がある。いや執らなくなったというのはこれ半分…すなわちもう半分は執れなくなった、そんな理由だ。

何かといえば、あまりに自分と(現在の姿が)似ている人間に遭遇し、あろうことかものすごく仲良くなってしまったのである。

いや何も物理的に―視覚的というのが適当かもしれないが―似ているのではない(なんなら性別が違う)。経歴が似通っているのでもない。いわゆる「ツーカー」というものである。ツーカー。本人の名誉のためにも具体的な論述は避けるが、これがもう異常なレヴェルなのである。

先にも述べたが、このあまりに自分に似ている人間の魔力というのは、尋常の物ではない。魔力、いやあるいは引力?逆に斥力?それとも両方?いやそれはベクトルに斟酌すれば、それだけのことであり、様々十把一絡げにしてここでは「魔力」と言いたい。

私がこの場で吐き出すことと言えば、たいてい時間をかけて、文章にしてじっくり自分でも咀嚼しながらどこかに投げたい感情なのだが、これが≒自分が身近にいることを考えてほしい。一人だと文章にしないと咀嚼できない感情も出来事も、二倍の速度で咀嚼されるのだからあっという間に終わってしまう。文章にする必要がないのである。それにどこかに投げたいなと思っても、目の前にその適役が居るのでそこにエイヤッとぶん投げられてしまう。

そして何より恐ろしいのが、この現象は文章にするよりよっぽどすっきりするし、むしろ心地よいということである。
全体としてみればわからないが、筆を執るということに関して言えば明白な脅威であるのにやめられない、これが「魔力」の魔力たる所以である。

こんなこと、「お前と仲良くなってから全く筆進まんわ、マジマジ」なんて本人に言えないから、ここで吐き出すのである。ある意味、というかそんなものでもなんでもなくこれがまさに「苦肉の策」であり、これが本人の目に止まらないことを祈ることしかできない。

まあ、目にされたとて何か思う訳でもないのだが。

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