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眼瞼下垂症の再手術①

新年早々に初うっかりを済ませたので、もう多少のことは笑って済ませることができる気がする。

昨年かかりつけの眼科の先生に紹介状を貰って、今回は総合病院の形成外科での診察になったのだけど。

紹介状を持参するのを忘れた。


信じられない。
私はこの世で一番信用していないのが自分なのだけど、それにしても信じられなかった。

手術になるかならないかの相談だったことと、前回同じ手術をこの病院で受けたからカルテが残っているというので、紹介状は次回でもOKとされた。
よかった。うっかり者ですみません。
しかし調べてみると、どうやら前回の先生ではないらしい。ほう。
前回から7年ほど経過しているから、それもおかしな話ではない。
どんな先生だろうなーと、病院のHPから経歴や資格を確認するようになってしまったのは、医療モノのタイトルに携わるようになってからだ。
どういう立場でその病院でお仕事されているのかがよくわかるし、卒年からどうキャリアを積んでこられたのかなどと想像することがおもしろいと思ってしまうようになった。

1時間ほど待って診察室に呼ばれた。
はじめまして先生、私の瞼どうにかしてくださいよ、という気持ちで対面した。あれ、卒年から計算すると、先生かなりお若く見えますね!? というのが第一印象だった。

先生がすでに引っ張り出していたのは、7年前の私のカルテだ。
眼瞼下垂症で、左のみ手術をした。

眼瞼下垂は、まぶたが下がってきて見にくくなる病態です。いつも眠たそうに見えたり、 肩こりや頭痛の原因になることもあります。 中には、生まれつきの眼瞼下垂のために弱視 が懸念される患者さんもおられます。

昨今、眼瞼下垂が広く認知されるようになり、手術を受ける患者さんも多くなりました。しかし、眼瞼下垂に対する手術は決してやさしいものではありません。まぶたの高さや形、左右差など、術後に予測し難い経過をたどるのが常で、一筋縄ではゆきません。

公益社団法人 日本眼科医会HPより

私の場合は後天性だ。
あらためて当時の写真を見ると、なかなかのものだった。
現在は当時に比べるとかなりマシな下がり方なので、前回の手術の効果を実感している。ただ、やっぱりこの2~3年でまた瞼が下がってきた……というか、二重幅の拡大が気になるようになってきた。
ひとまず先生が私の顔写真を撮って確認すると、やっぱり私の思い込みではなく「下がっている」のだけど、先生はこれはどうしたものかと唸り始めた。

「今の感じだと手術するかしないかのギリギリのラインで、どちらかと言えばしない寄り」とのことだ。
ただ、私の近年の悩みについても察してもらえる部分はあるらしく、ひたすら「うーーーーーーーん……」となってしまう。

しかし、私は形成外科で助けてもらえなければもう行く場所がない。
二重幅という面においては美容外科領域でもあるので美容外科でも相談したけれど、私の場合は特異なものだったらしくかなり難色を示されたし、そもそも金額的にキツくなる。
よって、もう形成外科にしか頼れない。
7年前ほどではないけれど二重の左右差が大きいままであることも、毎日フリーダム二重で自然にはなかなか定まらないことも、疲れてくると瞼が下がってしまって眠そうな顔になってしまうことも、それをカバーしようという意識がはたらいて目を頑張って開けようとするからめちゃくちゃ疲れてしまうことも、近年この瞼には悩まされ続けている。

眼瞼下垂症ってご年配の方がなるイメージだったけど、若い人にも見られるらしい。コンタクトレンズがどうとか、目をゴシゴシこすってしまうことによるとかいろいろ言われるものの、原因はよくわからない。
あとパソコン仕事も引っかかるらしい。そうであるならば逃れられなかったのだろうと諦めもついた。

「やってみないとわからないことが多すぎるけど」


と前置きされたけれど、このまま放置してても解決の確率ゼロの私は「やってください」一択だった。
というので、じゃあやるか~と先生はちゃっちゃと手術日を設定した。決めると早い。思ってたよりずっと早い手術日で私のほうが焦った。

「手技は前回と同じだからね、20~30分もあれば終わりますよ」
「あれ20~30分だったんですか。そうですよね、体感的には1時間くらいかかってたけど、ぎゃあぎゃあ言ってるうちに終わりましたもんね」

「ぎゃあぎゃあ言ったんですか」


言った。
だって二重から切開して、まぶたペロンってめくるとか意味がわからない。
しかも局所麻酔だ。意識がある。なんてことだ。寝てるうちに終わってほしい。
前回と同様に、言っても変わらないとわかっていながら言ってしまった。

「全身麻酔でどうか……!」

その日一番の爽やかな笑顔で「無理」と言われた。
手術中に二重の具合なんかを私も確認しなければならないので、起きててもらわないと困るらしい。必要になればそこで微調整が入る。

麻酔は事前に麻酔テープも貼っていたから難なく済んだが、メスを入れられるときは痛みはなくても「なにかされてる」というのはわかるので、ぎゃあぎゃあというか「ムリムリムリムリ……!」とずっと言っていた気がする。
賑やかというかうるさい患者だったことだろう。
なんだかんだおしゃべりの相手をしながら切って縫ってくれた先生の優しさに救われたけれど、オペ室の取材だ~~~なんて思えたのは手術台に上がるまでで、それ以降はもうそれどころじゃなかった。
ドキドキすると出血量増えるからドキドキしないでっていう無理難題とか。

ただ、術中に横になったまま鏡で見せられた瞼は、特にグロテスクなわけでもなくちゃんと二重だった。人体と医学の不思議。

「まあ当日はなにか気分が上がる曲でも持っておいでよ」

無慈悲、と思っていたら慈悲があった。
なにに、という話ではあるが完敗だ。
私はまたあの恐怖と戦うことになるらしい。

せめて瞼で疲れる日々が少しでもラクになったらいいなと思うので、手術を頑張ってくれる先生に全面協力しようと心に決めてその日を待つことにした。
片目だから日帰りでもいいのだけど、術後夜中もエンドレスで看護師さんが冷やし続けてくれたおかげで前回はほとんど腫れなかった。というのもあって1泊入院を希望した。

おみくじの「よく食べよ」に従ってよく食べようと思う。






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