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なんとなくわかってきた

 透過性のある石の描き方。同系統の色彩のコントラストを複数パターンに分けて散りばめるか、モノクロでコントラスト調整をした上で照度を下げた色でカバーするか。多分どちらでもいいんだろうが、後者の方が簡単かな?

 もっと再現性を高めていくためには、面よりも線の扱い方を向上させないと、現状はまだまだほど遠い。

 ネット検索したりHow To本を読んだりすればすぐにできるようになるんだろうよ。それを学習と言うのであれば、それを好む人も当然いるのだろう。でも、自由度100%なのがアートだ。真似事から入る一般的なセオリーでできるようになっても感動がない。

 だから、独学で精度を上げていくんだ。遠回りでも、都度気付きを得ながら作り上げられたものは、感性が注ぎ込まれているし、説明力が高いものでもある。

 知識とは、あるものを知り得て活かすことで知恵と化すとは言われるけれども、知っていることそれ自体に満足している人たちは少なくない。それ故に、探究心が育たず、自ら答えを探すことや工夫することをしない傾向にある。

 誰かが明らかにした攻略法も同様。それをなぞってクリアして何が楽しいというのか。怠惰な脳をより怠惰にするのは、探究心に欠け、工夫することをしようとしなくても答えを用意する者たちの存在。

 常識を覆す発想と言うのは、過去の常識をなぞっている限り生まれることはない。かつては間違いだとされていたことも今となっては認識が改められたり、かつては正しいとされてきたことも今となっては「明らかにおかしい」と断言されるようなこともあったりする。

 認識を書き換えるために必要な答えなど元からない。新しい発想や古い常識へ疑問を抱くといった感覚というのは、常に個人の「知に対する向き合い方」によってその鋭敏さが試されるのではないかと思う。

 現存する知をただ鵜呑みにする暗記型学習で「知っていること」の優位性は、もうこれからの時代は何の価値も持たない。

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