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◆誰の心にも宿る悪の正体

悪が心の外に漏れ出すには、

きっといくつかの解放条件が重なる必要があるのかもしれない。

そういうトリガーは、

自分自身がそうなり得る可能性は十分にあるし、

誰かを操って人を悪に染めるような条件もあるだろう。

人が弱いのは、

ほとんど本能的なものだと言っていい。

それを認めることをせず、

根性だ努力だという言葉で多くの人たちを一つの思想に染めようとする軍隊のような在り方は、人格形成を著しく阻害するものでしかない。

たぶん違うだろうなとは思っていた。小さい頃からずっと。

何かにつけ、練習だなんだと頑張らせはするものの、やっていることはそう大して結果を良くするものではなかったりして、私は練習しても意味の無いことはそこそこにしてやり過ごそうと心に決めていた。

でも、物事のコツを理解し、その通りに体を動かすことには多少長けていたのもあって、大して練習をしていなくても空手の型の県大会の試合では2年だったか3年だったか連続で優勝をした。

型の練習など必要ない、ということがハッキリしただけのことだった。地元の祭りの踊りと大して変わらない。

そういう目でしか見ていなかった空手を10年もすることになったのは、やり過ごすため。好きとも嫌いとも思わず、ただやり過ごした。

何度も言うけれども、人は、「胸の内からやりたいと思うことなら頑張れるし我慢もできる」けれども、「他者から強いられたり、今までこうだったんだからとか、これはこういうものだとかいう屁理屈でやらされることは全て、頑張ろうにもやる気は起こらないしモチベーションも維持できず、結果だって伴わない」というのが当たり前だと思っているから、嫌なことは無理に頑張らない。

そういうことでも無理して頑張ってしまう人たちが、今このご時世で体調を崩したり、精神を患ったり、後遺症にまで苦しんでいたリもする。

ウソばっかりではないかもしれないけれども、間違いなく言えるのは、昭和当時まかり通っていたことが今の時代でもまかり通ると思い込むのは甚だおかしいことだと認識しないといけない。

ハッキリ言って、体が壊れるほど頑張らなくて良かったとさえ思っている。

冷静に、というより、冷めた目で世間を見てきたものだから、自分の意思で判断することは容易なことだった。大半の人たちが、未だに古い考え方に縛られているのが今の社会で、まだまだその犠牲になっている人たちも後を絶たない。

30年前と比べて、良くなったこともあるだろう。でも、明らかに、今の社会は何かにつけ「維持することの苦痛」に耐えている状況。

じゃあね?その苦痛に耐えたとして、何が得られるの?

例えばさ、今にも崩れそうな老朽化した橋があるとする。すぐに改修工事を施さないと崩れてしまう。この橋がないと、向こうの農村の人たちが孤立してしまう。これからの日本、特に地方の田舎では次々と起こりそうな問題。

自治体はこれをどうすべきだと思う?

維持しようと一生懸命に全国のあちこちで改修工事を頑張る?いやいや、一旦壊してしまえばいいじゃんって思うんだよね、私は。壊れたあとで、どれだけ生活が不便になるかを体感しないことには、なるべく生活インフラの整っている地域への転居をしようなんてじいちゃんばあちゃんは考えないんだよ。

維持できないことをいつまでも維持張って諦めまいとすればするほど、誰かがその負担を被ることになる。そんなことになるくらいなら、維持しなくても良いことはさっさと切って捨てればいい。

維持しかねる問題が、これからどんどん出てくるし、事故も起こるんじゃないかな。特に鉄筋コンクリート系の建物とか橋とか。

だいぶ劣化してきていると思うが、どうなんだろうね。

こんな感じで他人事みたいにして言えるのは、逃げたからなんだけどね。わざわざ報われない社会、体を壊すかもしれない社会で消耗するとか、私にはできない。

頑張れる人は頑張れば良い。でも、こういうご時世で身を社会から遠ざけた人たちを見下して言うのは違う気がする。むしろ、賢いと思うけどね。意思の弱い人間ほど、自分で判断できないものだから、これまでにすがろうとする。

それが一番危険だということを知っているから回避行動を選択できるんじゃないかね。言い方悪いけど、頑張ってる人が偉いとか凄いとか、そういう理屈ではないからね。お疲れさんくらいのことだと思う。

頑張るのはいいけど、頑張り損をしたと感じたからって人を恨んだり会社を憎んだりするんじゃないよ?そういう人ほど無差別なんちゃら事件を起こす傾向にあるからね。

正直、私は未だかつて、何を頑張りたいとか思ったことがない。反対に、自分ができる程度のことは他にできる人たちがたくさんいるだろうって考えだから。自分のことを特別な人間だとは思っていないからこそよ。

「お前は特別な人間だ!」と洗脳して子を育てた親とか、かなり罪深いよね。英才教育とか馬鹿すぎる。子供の意思も趣味趣向も限定されて、挙句未来までも左右されてしまいかねない。

子に対する尊重、リスペクト、そういう思いがなければ、子育ては絶対に失敗する。対等に向き合わないから子供が歪んで育つんだよ。親が上、子が下とかではないから。

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