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◆多くの人に浸透している固定観念や思い込みは「自分の意思」にどのように作用しているのか

 テーマにしようと思えばいくらでもあるよね。例えば、労働だったり、結婚だったり、友達や恋愛、時間の過ごし方、お金の使い道、幸せとは何か、あらゆる物事に対して、自分の意思はどれほど有効に機能しているのか。

 じゃあ、偏った物の見方、人の見方を30個並べてみる。あくまでも以下の項目は例えなので腹を立てないように。「そう思う(〇)」「そうは思わない(✕)」のチェックをしてみよう。

1.働いていない人は社会のお荷物
2.後期高齢世代は社会のお荷物
3.勉強ができない子はダメ
4.電車やバスの席が空いていても優先席に座っている健常者はマナー違反
5.コミュ障な人はバカにされても仕方ない
6.第一印象が大事だから見た目で判断されても仕方ない
7.できないことを見下されたり笑われたりしても当然
8.多くの人が知っていることを知らないことは恥ずべき事
9.自慢話をするやつは嫌われて当然
10.ゲームは時間の無駄

11.SNSで炎上した人が叩かれるのは当たり前
12.逮捕歴、前科のある人は社会人として終わっている
13.本を読まない人はダメ
14.言われたこともできない人はダメ
15.ウソを吐く人は信用できない
16.不倫や浮気をする人とは関わってはいけない
17.誰に対しても優しくできないといけない
18.誰とでも仲良くすべきだ
19.あざとい女は同性から嫌われる
20.体の不自由な人には譲るべきだ

21.みんなが持っている物を持っていないと恥ずかしい
22.人から嫌われるのは、嫌われる人に原因がある
23.いじめるほうも悪いが、いじめられるほうも悪い
24.ハラスメントはそう感じたなら成立する
25.人より何かに劣るのは努力が足りないからだ
26.問題が起きた時には責任の所在を明らかにすべきだ
27.相手の言葉に不快感を感じたら相手が悪い
28.年上の人を敬うべきだ
29.ルールを破った人が悪い
30.いじめを見ているだけの人もいじめる側と同罪だ

 さて、以上30項目のうち、「そう思う」「そうは思わない」はそれぞれいくつだっただろうか。チェックを付け終わったら、一つずつ、「なぜそう思うのか」「なぜそうは思わないのか」を考えてみよう。ただし、「考え方は人それぞれだから」や「一般的にそう思ってる人が多いから」などといった曖昧な回答はせず、「なぜあなたはそう思い、なぜあなたはそう思わないのか」を具体的に回答してください。(※コメント欄への回答可)

 あなたが今現在、正しいと思っていることや間違いだと思っていることは、なぜそう思うに至っているのか、その起点となっているのはなんだと思う?そのように親や学校で教わったから?

 よく、相手のミスや過ちを責める時に「幼稚園で教わらなかったのか?」「親の顔が見てみたいわ!」などというどこかでよく聞くようなセリフを言いたがる人がいるよね。

 どんなことに対しても、人は自分が信じている正しさから逸脱するような出来事に対しては「間違っている」と思いたいのではないかな。そう思うことで一先ず自分は納得できるからね。でも、多くの人たちはそうではない。およそ世間体だったり、一般常識だったり、ルールや法律だったりといった既成概念を前提に、正しいか間違いかを判断しているのではないかな。

 物事に対してゼロベースで自分の意思を働かせて分別している人というのはなかなかいないのではないかと思えてならない。もし多くの人たちが自分の意思でそのように分別しているのであれば、議論を交わす上でも感情論にはなりにくい気がする。

 ところが、グラデーションがあって、明確に正しいとも間違いとも言い切れない、線引きの難しい、正解のないテーマであっても、相手の意見は間違っていてこちらの意見が正しいと主張したがる人が非常に多いこともまた事実であろうと思う。なぜそういう偏った意見の主張をしたがるのかというところも疑問を抱かせる点であろう。

 令和時代、コロナ禍が始まって以降、やたらと「多様性」「ダイバーシティ」というワードを使いたがる人たちが増えたように思えるけれども、本当にその意味を理解しているとは思えないような議論が多く散見される一方、どれだけ議論を重ねていても、人の思考にベッタリと張り付いて離れない固定概念やステレオタイプといったものは、容易には上書きされないまま、差別問題やハラスメント問題のようなことは絶えず繰り返し起きている。

 どこかこう、問題意識だけが暴走し、具体的で建設的な解決を目指す議論や認識の均衡化は図れないまま、○○は当然、○○は当たり前、という言い回しで片付ける風潮にあるように思えてならない。

 多様性とは、時代の変化と共に、あらゆる色・形・形態・考え方があってよくて、それらを受容できる状態を表す。社会全体が多様性に富むということは、つまり、どんな考え方の人がいて良いし、どんな意見を主張しても良い社会であって、批判や否定ではなく、暴力や武力を排除した上で、言葉のやり取りによって建設的に折り合いを付けられる社会のことではなかろうか。

 結局のところ、人が何に対してどう思うかは完全に自由であって、思うことそれ自体を縛ることなど誰にもできないよね。ただし、現代人が認識を誤っているのは、思っていることをどのようにアウトプットして、どの着地点へと持っていくかまでをほとんど考えられていないこと。上手に議論を交わすこと、それを邪魔しているのはおそらく「個々の感情」なのだろうと考えられる。

 周りの人たちがそう言っているから自分もそう思う系の「自身の意思をその他大勢に委ねるタイプ」の意思決定をする人たちほど、きっとネット上の炎上騒動に加担しやすいのかもしれないし、時折問題視される不買運動的な活動にも参加してしまいがちなのかもしれない。

 「あなたはどう思う?」「なぜそう思うの?」と問うと、具体的に本人の意思を感じられない回答をする人たちが現代では圧倒的多数なのではなかろうか。確かに、世の中にはインフルエンサーと言われる影響力を持つ人たちが存在するのも事実で、事あるごとに彼らのそうした影響力が分断を加速させてきているとも言えなくはない。影響力を持つ誰かの言っていることを信じているだけの「誰々の信者」みたいな人たちとまともな意見交換などできるとは到底思えない。

 そもそもね、自分の意思が何者かによって操作されていたり、自身の行動選択が何者かによって代替されたものだったりしたら嫌だよね。でも、実際に「自分の意思で選択した気になっている行動」って現代ではいろんな場面で散見されると思わない?流行り・トレンド・人気なんてその代表例。

 「流行っているから」ということと自分の意思とが何の疑いもなく、何の違和感を感じることもなくリンクしてしまう状況って傍から見てると恐ろしいなと思う。たぶんだけど、世間で増えつつある闇バイトによるあらゆる事件もこれに極めて近い現象なのではないかな。まともな判断すらできないままお金欲しさに闇バイトに応募する人たちの意思が、まさに操作・代替され、肉体を悪用されている構図がオンラインを介して成立してしまっている。

 このことにどれくらいの危機感を感じているのかは定かではないにしても、思っている以上に深刻なフェーズに移行してしまっているように思う。しかも、人の弱みに付け込む悪人たちは、他人の意思を操作・代替するスキルを巧妙化しつつある。

 よくね、人を揶揄する言い回しで「社会不適合者」ってよく遣われる言葉だと思うんだけれども、正直ね、今の社会に上手に適合できている人たちって、表向きは普通の人に見えても裏では悪さをしている可能性はありそうだよね。

 羽振りの良いJKの両親が調査会社に依頼して自分の子供の素行を調査する流れが加速しているようで、パパ活や風俗で働いていたりする事案が多発している。パパ活ですら流行り出すとその流れに乗っかって中年男性を釣りに行くJKが増える現象というのは、よほど日本の経済状態が悪化していることを如実に表しているとも言えなくはない。

 でも、だからといって自分の意思が適正に機能しない若年層が野放しの状態になっていることというのは、少子化問題以上に日本の未来を危ういものにしていると考えられる。

 自分の意思は適正に機能しているか、何者かに操作されていないか、何者かに代替されていないか、その点はよく考えたほうがいいかもしれない。

 最後に、冒頭の30項目について私の回答を示す。ズルいと思うかもしれないけれども、全て「そう思う(〇)」でもなく、「そうは思わない(✕)」でもなく、自由に〇✕を付ける大勢の人たちがどう思うかに左右されない「その事実を認める」ただそれだけだと回答する。自分以外の人たちが物事に対してどう思い、どう主張していようと、「そう思う人がいるんだ」「そうは思わない人がいるんだ」その事実をただ認めるだけ。

 その上で、「この世界は混沌としているなぁ」と、外側から傍観者の視点で観察する。正しいか間違いかでは分別できないことが多いし、それをするための規則やルールや法律が大前提として正しいわけでもない。

 結局ね、どんなにすばらしいルールや決まり事を設定したとしても、そこから逸脱する人たちは出てくるわけで、そういう彼らのことを排除することもできないのが社会だから。そのことを認識した上で「多様性」を主張するなら私は賛同するかもしれない。

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