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【#孤高の書】其の一:孤独とは

#孤高の書 、それは人がこの世界で生きる上で不安を感じさせる「孤独」というものを段階的に紐解いていき、孤独の真理について綴られた書である。

 1年くらい前に、とあるリサイクルショップの女性オーナーがこんなことを言っていた。

 「お兄さんね、結婚して夫がいて、子供がいて、家族で過ごす毎日が当たり前で、毎日顔を合わせて家族間でいろいろ話すことがあっても、みんなそれぞれ”独り”なの。夫婦だからって、親子だからって、なんでも理解し合えるわけではないし、家族だからこそ言えないこともあるの。そういう時はね、心はいつも孤独なの。」

 その言葉を聴いていてまず思ったことは、かつて自分が理想としていた家族というもののイメージにはない観点だということ。一つ屋根の下で暮らす家族ですらも、それぞれに少なからず孤独感はあるのだと。

 両親がいて、兄弟がいても、末っ子は特に「一番年下」ということだけで感じる孤独感というものは、同じ境遇の人たちであればきっと感じてきたに違いない。

 自分だけかと思っていたけれども、立場がどうあれ、家族それぞれに孤独感があるのだということを気付かされて、はっとした思いがした。

 人は、どこでどんな生活を営んでいようとも、元々誰もが孤独なのだ。世の中のあらゆる仕組みは、それを前提として計算され、構築されている。

 「一人じゃないよ、みんながいる」という、いろんな悩みを相談できる窓口が、自治体、NPO団体、民間企業など、様々な組織に設置されているのは、中にはいざ自身が抱えている問題にどうすることもできずに悩んでいる人たちが一定数存在するからなのだ。

 一般的な話をすると、とある商品を購入後、何かしらの欠陥やトラブルが生じた場合に、カスタマーセンターに問い合わせることがある。これもまた、問題を解決するためにどうすればよいかを相談するための窓口として、今や多くの企業が専門の部署を設置している。

 事、この日本においては、何が起きても頼れる場所が用意されている。

 それでもなお、孤独に苛まれている人たちが存在し、おそらく向こう10年20年の間に、そういった人たちが増えていく傾向に偏っていくのではないかと予測できる。

 社会はこの30年の間に、急激に便利になってきた。数分歩けばコンビニがあり、食品、酒、タバコ、週刊誌、文庫本、文具、その他の日用品など、必要なものがすぐに手に入るような環境にあり、今となっては家から出ずともネットショッピングで欲しい物を注文すれば数日以内には家に荷物が届くに至っている。

 独りでも生きていける環境が加速的に整ってきたことで、人々はより一層孤独に陥りやすくなっているのではないかとも推察できる。

 というのも、自由度を高めたいが故に、恋愛はしない、結婚もしない、子供も作らない、そういうことに費やす時間やお金を自分のために投じることのほうが有意義なのではないか、そのほうが楽に生活できるのではないか、というようなことに多くの人たちが気付かされてきた。

 元々、人は孤独な存在であることは冒頭でも述べたが、社会や地域の発達がよりリアルに実質的な孤独感を助長する結果に至ったと言っても過言ではない。

 しかし、こうした変化の経緯を知ることなく、「(他者と比較して)自分だけが孤独なのだ」と錯覚してしまうことで、寂しさという耐え難い心労に苦しむことになる。

 こういう人たち(のため)に、あらゆる娯楽や嗜好品が用意されている。悪い言い方をすれば、「人の弱みに付け込んだ営利目的の商品やサービス」とも言えなくもない。しかし今となっては、それらは無くてはならないものになり、実際に救われている人たちも存在しているため、利害が一致した上での販売でありサービス提供なのだ。

 「一人じゃないよ、みんながいる」という言葉を言い換えるとするならば、「キミだけではなく、みんな孤独なんだよ、孤独じゃない人なんていないんだよ」と。これが人が人であるが故の正しい前提認識。

 決して自分のことを特別な存在なのだと信じることが悪いわけではないけれども、「自分だけが〇〇だ」などといった極端な思考に陥ってしまうことで、視野が狭くなり、周りが見えなくなる。

 公園のベンチに座って煙を燻らせていると、そこには鳩やらカラスやらスズメが飛んできては地面を突き、少しすると飛び立っていく。

 群れを成す鳥たちでさえも、きっとそれぞれ孤独感は持っているのかもしれない。それが無ければ群れるという習性は持たなかったに違いない。

 意思や理性をもつ人間は、群れるという習性を本来持たない。というよりも、群れる必要性が元々ないと言ったほうが正しいかもしれない。

 自然の中で、生きていく術さえ身に付ければ、余計に群れる必要もなく、日々、腹を満たすことができ、寝床があれば眠れる。

 しかし、社会構造が発達していくにつれ、日本においてはそうした生き方を許さない三大義務を国民に課すようになり、ある時から、「社会で生きるとはこういうものだ」「組織に属すということはこういうことだ」などといったことから枝分かれして、あらゆるソーシャルバイアスが蔓延することとなった。

【次回予告】其の二:現代版先入観の起源

お楽しみに!!(・∀・)ノ

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