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【#孤高の書】其の五:視界

 多国籍国家、人種の坩堝、アメリカ合衆国の今。

 トランプ大統領の発した造語「チャイナウィルス」が、アジア系人種へのヘイトクライム事件急増の端を発した。

 最初は、中国人であるかどうかを確かめるために「ニーハオ」と声をかけ、中国語で応答したら突如暴走して殴る蹴るといった異常行動に出るといった傷害事件が起きていたが、今では「見た目がアジア系人種」であると判断したらとにかく暴力を振るう。

 白人黒人関係なく、アメリカ人によるアジア系人種の人々への無慈悲な暴力事件は合衆国各地で起きている。

 まず、かつて国家の大統領に君臨したドナルド・トランプ氏が、その影響力を中国に対して非難することに躊躇うことなく乱用したことで、米中関係は悪化し、同時に、トランプ派の国民がバイデン政権に対する反政府デモを誘発することになり、かつてないほどにアメリカ国内は荒れている。

 人間が起こす破壊行動は、たとえ一人でも人の命を奪う可能性は高いのに、これが集団的破壊行動へと移行すると制御不能を回避するために軍が駆り出されることになる。その結果、何百人もの人々が死傷し、何千人もの人々が逮捕・留置される。

 例えば今回のトランプ派のデモ集団がアメリカ全土各地で逮捕されることになると、留置所での多くの逮捕者による暴走も起こり得る。

 本当に映画のような信じがたい事態がアメリカでは起きている。トランプ元大統領が中国を煽りさえしなければ、ここまで酷いことにはならなかった。

 その間に、中国は各分野における優秀な研究者を1000人集める計画を実行し、加速的に様々な技術の進化により、経済成長率を急速に上昇させている。中国が世界経済のトップに君臨するのも時間の問題。

 投資すべきところに投資して、「人の確保」を最優先にしたことは、近い将来の経済成長をより強固なものにするためのものだということは、予測するにはそう難しくはない。

 アメリカのヘイトクライムで大荒れの状況は、中国にとっては絶好の機会。GAFAの解体が本格化すると、外交力も軍事力も経済力もアメリカなど怖くもなんともないわという圧倒的な差が生じるかもしれない。

 そうなった時、日米の軍事協定が何の意味も持たなくなることを想定してか、菅政権は他国との関係性を深めることを考えざるをえなくなった。でも、そんなものは状況の変化次第で簡単にひっくり返される。

 現代を生きる全ての人々が、コロナ禍1年数カ月を経験してなお、前代未聞の大恐慌を経験することになるかもしれない。

 そこでふと考えてみる。本当にグローバル化は世界中の人々のためになっているだろうか、と。そしてさらに、グローバル化を推進する上で、タイミングは正しかったのだろうか、と。アジア系人種に対するヘイトクライムが何年も起こり続けているのは、グローバル化を推進する上での致し方のない社会現象の一つと割り切るべきなのだろうか。

 「復讐は、憎しみを育てる養分にしかならない」(七つの大罪/妖精王ハーレクイーン)

 憎しみに囚われすぎると、単純に視野が狭くなり、これまで見えていたはずの物事が見えなくなり、自身の言動や行動が適切か否かを顧みることもせず、ただただ憎しみの感情のままに暴走することになり、復讐の連鎖が起こる。

 そうなると、どんな行動に走ってもおかしくはない。自分だけは例外だと思っている人たちほど、周りが暴走し始めるとパニックに陥り自分も暴走する。

 どうすればいいかがわからなくなって、誰を頼ればいいかがわからなくなると、不安や恐怖から逃れるために暴走したり、他者を踏みつけにしてでも自分だけは助かろうとするものだから、他者を傷付けたり命を奪ったりした以上に、深い憎しみから復讐を受けることとなる。

 確かに、どんな時も、何が起きても冷静でいられるのなら誰もそういうことにはならないはず。それ故に、自分の感情でありながら、制御不能になったら意思も思考も機能しないため、他者から見ればおかしな行動でも、自分ではそのことに気付けなくなる。

 他人に合わせてばかりの接し方に慣れている人ほど、制御不能になりやすい傾向にある。周囲の人たちと違う言動、違う行動をすることを恐れている分、意思が働かない。

 「其の三」で述べた「同調圧力」がまさにそのことを意味している。みんなと一緒に居れば安心、みんなと同じようにしていれば大丈夫、そういう考え方をする人たちのうち、デモに参加して命を落とす。

 デモや暴動で社会が良くなるのならいいけれども、軽くあしらわれたり、問題を先延ばしにされたりしてなかなか期待するような変化を起こすには至らない。

 【「周りのみんなと同じ考え方であること」が自分の居場所確保の絶対条件であり、「周りのみんなと違う考え方であること」は疎外される危険要素でしかなく、「周りのみんなと違う行動をすること」は裏切りだと捉えられて攻撃される恐れもある。】

 根拠や証明がなくても、少し権力のある人が言うことにただ従ったり信じたりするのは、こういう考え方をしている人たち。意思はある日どこかに置いてきたのかな?と思えてならない。

 悪って何?善って何?それら単体の意味なんて誰でもわかるだろうけれども、そこに立場や事情や条件などなどオプション要因がくっつく度に、ある時には善だったことが状況の変化によって悪だと言われ始めるようになることもある。

 例えば、エスカレーターの右側昇降マナー。元は左側の人は立ち止まって利用し、右側の人は昇降OKだったけれども、今では盛んに立ち止まってご利用くださいのアナウンスが流れていたり、そうした貼り紙があちこちに貼られていたりする。

 人ひとりの肩幅のエレベーターを2列並べて、立ち止まって利用するエレベーターと昇降OKのエレベーターとがあれば、大した問題ではない気がする。そもそも昇降できる設計にしているから余計な議論を生むんじゃないのかね。

【次回予告】其の六:なぜ人は損することを嫌い、なぜ人は得をしたいのか?

お楽しみに!(・∀・)ノ


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