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【#四字熟語ヘッダーデザイン室】リクエストNo.001「千載一遇」

※皆様の大好きな四字熟語をヘッダーにしてお届けする「四字熟語ヘッダーデザイン室」を開設!作成した四字熟語ヘッダーは【 #みんなのフォトギャラリー 】へ追加して参りますので、是非、皆様のnote投稿にご活用くださいませ!!

※もちろん、追加されたヘッダーは誰でも使うことができますので、みんなのフォトギャラリーから画像をご利用になるnoteユーザーの皆様は、是非是非「 #四字熟語ヘッダーデザイン室 」で検索してみてください♬なかなか良いアイデアだなーなんて自画自賛してしま・・・自画自賛!!はぁーっ!!日本人に生まれてよかたぁ~❤

 第1回目の四字熟語は「 あおはる 」様よりリクエストをいただきました【千載一遇】について触れて参ります。是非、ゲーム業界でご活躍中の「あおはる様のnote」へアクセスいただき、お楽しみくださいませ♬

 「千載一遇」の意味は、

 なんということでしょう。現代社会においては「人生百年時代」と言われるようになったというのに、百年生きても99%巡り合えない機会でありながら、極端な話、999年生きてなお遭遇することが適わないかもしれないほどあまりに希少な機会のことを、この四字熟語は示しております。

 「千載一遇の機会とは何か」を考えると、いくつか思い浮かびます。まず「人として世に生まれること」。これに関しては、【万載一遇】と言い換えても足らぬほど、奇跡そのものと言えるかもしれません。

 そして、「人との出会い」。これは、人として世に生れることの先に起こる【億千万千載一遇】という七字が相応しい表現かもしれません。親元を離れてから15年以上、今いる場所には9年、転々としながら本当に多くの人たちと出会ってきたものです。また、インターネットの普及以降、オンラインの世界は瞬く間に進化し、今となっては「SNS」という媒体で実に多くの人たちと繋がるようになったことで、これを出会いにカウントするとしたならば、これから先の人生も、奇跡的な出会いは尽きないのかもしれません。

 「大金を手にする」ということが必ず人の幸福と等しいのだと錯覚することは、人として最も愚かな考えであるという意味が、きっと千載一遇の言葉の裏には隠れているような気がするのです。確かにお金は必要な社会ではあるものの、資本主義の概念は近い将来、これまで人々の間に生じ続けてきたあらゆる格差のフラット化により、消えゆくものとなるでしょう。

 あなた様も、ご自身にて、「自分にとっての千載一遇とは何か」について考えを巡らせてみるのも良いかもしれません。もしかすると、それはすでに、この世のどこかに存在するのかもしれませんが、今はただ、その存在に気付いていないだけなのかもしれません。是非、探し見付けてください。千年に一度しか訪れることのないと思えるほどの遇機に面することこそ、人の生きる道を、これまでとは全く違う世界観へと変えてくれるものだと私は思います。

 それで言うと、「諦める癖のある人」には、その人の生活環境に遇機が訪れてきたとしても、見過ごしてしまうかもしれません。千載一遇は、日頃からそれを意識して生きる者にしか気付けない、目には見えないもの。そう、「千載一遇」とは、「人の心」のようなものなのかもしれません。たとえあなたにとって大切な人がこの世を去ったとて、大切な人の心はずっとあなたの心に宿り続けます。

 「自分以外の誰かの心が自分の心に宿る体験」は、人が人として生まれ、生き、人と出会い、共に時を過ごし、生別つ時、きっと思うに違いありません。「出会えて本当に良かった」と。そして同時に、「生まれてきて本当に良かった」と。おそらく、そのように思える日がやってきた時に、「千載一遇の機会を得た」と言えるのではないでしょうか。そしてそのことが、【人にとって最高峰の幸福】なのかもしれません。

※言葉一つに対する解釈というものは、決して辞書に書かれている意味が全てではないということを発信するための機会として、「 #四字熟語ヘッダーデザイン室 」を開設いたしました。今後もこのタグを付けてシリーズ化して参りますので、皆様のリクエストをコメント欄にて心よりお待ち申し上げます。では、次回もお楽しみに♬

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