夜の底、天空の穴

確か、小学生になって間もなくのこと。
夜空の満月をはるかに仰いだ時、幼い私の頭に、ふと「ある考え」が浮かんだ。

あれは、夜空に浮かんだお月様だと言うけれど、ほんとにそうなのかな?
自分の目で確かめたわけじゃないから、実はちがうのかもしれない。
もしかしたらあれは…ずうっと高いところに開いた穴なんじゃないの?
ほんとは、この世界は壺の内側のようなカタチをしていて、お月様と思っているあれは、はるか上に見えている壺の口で。
私たちは壺の底に住んでいて、仰ぎ見る壺の口から射す光をお月様だと勘違いしているんだ。
月の満ち欠けは、壺の外の誰かが、フタを少しずつずらして開けたり閉めたりしていると考えれば説明がつく。

その考えは、とても整合性があるように思えて「お月様=天空の穴」説は、私の中で急に真実味を持ちはじめた。

ぞくり、とした。
今まで疑問を持つこともなかった世界が、突然不安定なものに変わる。

今にして思えば、ハクション大魔王を真に受けすぎである。
しかし、当時の私はナーバスになっていて、天空の穴説を「そんなバカな」と頭から追いはらうことができなかった。

理由は、クラスで一番仲良くしていたCちゃんが、突然いなくなってしまったから。ずっと後で大人たちの話を総合してわかったことだが、Cちゃんの一家は夜逃げをしたらしい。
でも、そんなことが当時の私にわかるはずもない。
ただ、前日まで普通に遊んでいたCちゃんが、こつ然と姿を消したという事実が目の前にあった。
最初は、風邪でもひいて休んでいるのかと思った。
家に行ったら、表札がなくなっていた。
転校するなんて、聞いてない。
どこへ行ったか、先生も知らないって言う。
何日待っても、手紙も電話もこない。
前の日も、いつもどおりに遊んだのに。
明日も遊ぼうね、って言ったのに。

もしかしたらCちゃんは、誰かに呼ばれて外の世界へ行ったんじゃないか?
あの、お月様の穴を通って。
テレビのニュースで行方不明と言われている人たちも、
急に外の誰かがクシャミをして、穴から出て行ったのかもしれない。
この考えが頭から離れず、私は怖くて泣きたくなった。

私は、母に話してみた。
お月様は、ほんとは穴で。
ここは、ほんとは壺の中で。
消えた人はみんな、外に呼ばれて行ったんじゃないの?
私もいつか呼ばれたら、ここから消えてしまうかもしれない。
母は、私のつたない説明を、うんうんと聞いてくれた。
否定もせず、バカにもしなかった。

母は私の顔をのぞきこんで、真顔で言った。
「そうか、なるほどなぁ。もし、ほんまにそうなんやったら……屁で呼ばれるのはイヤやなあ。やっぱりせめてクシャミかアクビがええな。」

答えが予想外で、一瞬の間があったと思う。
そして、私は笑い出してしまった。
「うん、屁はイヤや。プーで呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーンは絶対イヤ!」
小学校低学年にとって、おならは笑わずにいられない魔法である。
父と姉も混ざって、イビキだと呼んだ人が寝ちゃってて困るよね、しゃっくりはギリギリOK、など話が盛り上がった。
その後もお月様は、私の目に天空の穴のように見えることがあったが、「屁はイヤや」とセットで記憶されて、怖さより家族で笑った思い出が勝るようになった。

あれから、ずいぶんと時が経って、私は小さな子どもではなくなった。
実は今でも、きれいなお月様を見上げると、自分が夜の底にいるような不安な気持ちに駆られることがある。
でも、やっぱりセットで「屁はイヤや」を思い出してクスリと笑い、呼ばれたなら呼ばれたでまた楽しいよね、と思えるのだ。

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