一足飛びしようとしていた

発達だ、勉強だ、学習だ
「マイペースとはいいように言ったものだ」と、自己紹介の「マイペース」は長所では無いと揶揄した言葉を見つけたのはいつだったか
そんなことを思い出したり

保育園、小学校、中学校……と、新しい環境にどうやって馴染んで勉強や運動や、家と学校との狭い社会で、どう思いながらも往復して健康にやっていっていたのか思い出せない
病気になってからは「戻る」とか「治す」とか、とにかくどう思ってやってったらいいのやら、いろいろ、人から本から見聞きするけれど、「そうできたらいいのに」で実際はそうできたりしはしない
言葉や態度は転がっているだけ
私は自分といる
対峙してみたり無視してみたりする
できることは試すだけは試して

今年の春、自力で独りで外に出られるか出られないかとおぼつかない頃、福祉を転々と尋ねて、それも勇気の要ったこと、「弱った自分でも顔を出してもいいところ」が医者か福祉か無料のセミナーかなんかしかなかった
いろんなことに気が引ける
元々インドアな方で、自身にそう呪縛をかけて過ごしていた期間も長いし、お金と健康がなければ身動きが取れなくなる
社会に顔向けができないという自分が自分を見下す視点
自分が許すならば図書館と街が豊かなら休憩や読書などをしていいフリースペースがある
公園は好きだけど、昨今の日本の夏は過ごせたものじゃない
混乱状態、自分がひたすら不出来な恐怖、それでも生きていかねばならないので、恥を忍んで困っているのだと泣いてすぎるように露出する
ここもそれで言えばそういうところ
私は恥ずかしい

だので、保育園、小学校、中学校、と、なにかを諦める前の私はどうやって過ごしていたのか考えていた
義務教育が「そういうもの」として当然としてワクワクしたりはしなかった
新しいことには常に身構えて緊張する方で、特に理由もないので生まれつき

段階、「今の私はどこにいるんだ」と、どこにいても思う
街の中や電車の中で、誰も私のことなど気にかけていないさまを見ると安心する
これが普通、かどうかは知らないけれど、私にとっては安心
高校からの視線はなんだったんだろう
おそらく今なら、「制服を着た女子高生だ」というだけで視線を向ける対象となりうるのだとわかる
特別目を引くような容姿ではない

今は本当に楽だ

心理学の雑誌を数年前に買って忘れていて、掘り当てて読んだりした
一般的な発達の段階では、私の年齢ならば子育てをしているところらしい
へぇ、では私は当てはまらないので参考にならないな
私は未だに自分探しだぞ?
精神科医の動画で、発達の段階でどこかは欠けていたりするものだと聞いた
私のそれだ、理想的な歳の取り方とは当てはまらない

何かを決められなくなったのは、心と意識と分離して、自分が自分でなくなったからだ
元々、無意識と自意識とはなかなか合致するものではないと思っていたので、遊びがあった方が窮屈にならないし、こうやって、文章を入力している時にも思う
自動生成AIにしてはまとまりのないものだけど、これが私の現段階の発達脳
人間の脳の一例

福祉を訪ねた時に「スモールステップ」という言葉を覚えて、私にとっての小さな一歩目とはそもそもなんなんだから始まった
どこに向かっているのか?
生まれたら等しく向かうは死なのだけど、その過程でのチェックポイントは
止まってるようでもない後退してるようでもない、ましてや進んでいるようでもない
ひたすら空回り、迷走、停滞感
自分はどうも時間概念がない時があるなというのは知っていて、そういうところも矯正しようと必死だった
なおすところが多すぎて疲れたしずっと疲れていた
疲れたことを言い訳に放置すると息をしているだけの生き物になる
難儀だ

それでも私はミクロの歩みを感じた
どのみち生きることは何度も確かめた

それを報告したかっただけだ
この白い入力画面に



2023年9月5日 処理


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