見出し画像

まずは感謝を。

初めてのnote記事の作成だ。
文章書きの皆さん、初めまして。

皆さんも感じているんじゃないだろうか。
こうして言葉を発信する機会を与えられることの喜びを。

noteは、他のどのSNSや創作投稿サイトよりも文章書きに優しいツールだと思う。
Twitterで流れてくるnote公式の記事を目にしてもそれを感じる。

「もしかして、こんな名もない文章好きの拙い記事も読んでくれているのではないだろうか?」

そう確かに期待させてくれる。
まずはこの機会に感謝を。


私、処理のこと。

ずっと手紙を書きたかったけれど、手紙を出す宛先を失ってしまった。
綺麗なレターセットを買っても眺めて終わり。
切手を集めても、彼らは1枚1枚に切り取られることもなく、封筒の適切な箇所にのってポストから旅立って行くことはない。
手に馴染むお気に入りのペンもインクが減らなくなった。
減らないまま書き味が悪くなっていく。
役目を失ってしまった彼らはペン立てにお行儀よくしまわれたまま、どこか寂しそうだ。
いつしか買い足すことをためらうようになった。
「どうせ書くこともないしな」

指先が、なぞるところを探してさまよって、スマホに意味もなく向かっていく。
ほんとうは画面に向かって考えることなんて何もない。
自分でもなぜだかわからないけれど、光に向かう習性で、蛍光灯に引き寄せられてしまう蛾のようだね。
お月様には届かない。

スケジュール管理アプリやメモ帳アプリを開いては指の運動と日々を書き綴る。
登録しただけのSNSを下へ下へスライド。
生活や頭の中のどこの支えになっているかもわからぬまま、ただただ一瞬の視覚に食いつぶされて流れていくメディアたち。
その時間の先に何が生まれた軌跡もない。

頭の中に聞こえる声は自分のそれだけ。
想像の中の架空の知人たちは新しい話題を生まない。
人の記事や著作を読んではまるで親しい友人のように錯覚して共感と一喜一憂、お節介なアドバイスなんかを心の中で繰り返す。

現実感からどこか遠のいた、おばけのような意識の渦中。
消えては現れる雲のような世界に浮かぶ。
寂しくはないけれど、文字の集まりを拾ってもひとりなことは常にそばに感じる。
季節が流れても変わらないなにか

指一本での起動のぐるぐるは視点の真ん中になにを開く。

noteを開くとシンプルなフォントに言葉が溢れている。
記事タイトルの一文一文から書いた人たちの思いが浮かび上がってくる。
確かに温度や色を感じる。
自分の中の色のないため息すらも吸い取ってくれるかのようだ。

この感覚は私だけのものだろうか?
表現は違えど、noteに記事を書いている全ての人に共通しているのではないだろうか?

私は確かめてみたい。
私の言葉も、もしかしたら温度や色を帯びるかもしれない。
誰かの目に触れることでそれらが生まれるかもしれない。
そういう感覚を持った人たちと、この素敵な場所を共有していたい。
noteはその試みを、こうして開いて許してくれている。

まずは感謝を。
書くことに喜びを感じて。
あなたたちの言葉に触れていきたい。


画像2


2021年2月5日 処理



この記事が参加している募集

サポートしてくださると、私の寝起きと寝る前の筆運びと、記事を書いている時の糖分と珈琲の味わいが深まります☕🍪🐜