回顧 新年

(12.31記)もう大晦日だ。時が経つのは早い。このアカウントを作ったのは夏休みに入ってからなので7月下旬くらいだったはず。たくさんの人に出会って、たくさん良くしていただいた。そのことに素直に感謝したい。今此処に居られるのはあなた方のおかげだ。来年もまた接してくれるとすごく嬉しい。

今年をあれこれ振り返ってみたい。

  • 夏休み中に50枚絵を描いた

  • 推しに認知してもらえた

  • ファッションに興味を持ち始めた

  • 古着をまともに買い始めた

  • noteを本格的に始めた

  • 好きな絵師さんが私のキャス配信に来た

  • 推しが私のキャス配信に来た

  • 初めてお付き合いしたいと思える人ができた

  • 記事を25も書いた

  • 累計15000字ほど綴った

  • 進路について色々考えた

  • 初めて哲学に触れた

こうやって考えてみると出来事はそう多くないわりに濃い1年だったのではないか、と思ったりする。

(1.2記)新年早々災難な年だな、と。ただそれだけです。わたくし自身石川県民で、過去「石川は比較的安全」とか「石川には台風も来ないし地震もそんなに被害がない」とか言われていたわけで、私もすっかり平和ボケしていたわけだが、我が身が被災することになろうとは考えてもいなかった。しかも正月真昼間に。私は仕事中(ごみ捨てに行っていた)だったところ揺れが来たのでとりあえずしゃがんで落ち着いてからすぐにカートを押して店まで戻った(ゴミ運搬カートをそのまま放っておくと逃げる人の邪魔になり危ないため)。店の入口は棚が倒れて塞がれており職場の人が出られない状態だったので早急に退かし、その後避難誘導を行った。とりあえずスマホだけ持ち出して後々連絡をとったり情報を得れるようにはしていた。津波が来るとのことで、走れない人に肩をかしたり、車椅子を抱えて階段をあがったり、てんてこ舞いだった。嫌なてんてこ舞いだった(私の働く店は正月は元々繁忙期で大忙しらしい上に本年元旦(発災前まで)はそれ以上に忙しかったらしい(私がシフトに入ってすぐ発災だったためあまり忙しさは体感しなかったがそれでも普段の比にはならない忙しさだった))。誘導中、好きな人のことが心配で心配で半分泣きそうになっていた。何度か店に戻った。片付けをしている同僚がいたため、とにかく避難するよう促して出勤している人たちの荷物を持って一緒に高いところへ行った。寒かった。暖冬と言われているとはいえ、さすがに冬。風は冷たいし、日没後は更に冷え込んだ。しばらく防災情報を聴き流していた。同僚や他の避難してきた人はずっとソワソワしていた。私も同様に。すごく怖かった。今までに経験したことないような揺れだった。とりあえず一緒に地元に残っている母親とは連絡が着いたし、友人たちとも一応連絡がとれたのでひとまずは安心した。しばらく経って落ち着いてきた頃、私は無性に腹が立った。なぜか?父親から心配の連絡もなにもないからである。どこまで薄情なんだ、奴は。奴の楽観ぶりには心底呆れるばかりである。

好きな人と初詣に行くつもりだったのがそれも無くなってしまった。それは仕方ない。向こうを危険に晒すわけにはいかない。今は安全第一だから、また落ち着いたら会おうとなった。

とりあえず荷物は同僚に渡した。しばらく同僚と数人でうずくまっていたが、落ち着いたので店に様子を見に行くことにした。店自体高いところにあるのでそこまで心配するほどではないのかもしれないが、下に降りるわけなのでさすがに腹を括った。店は凄惨な様子になっていた。油は飛び散り、色々なものが散らかっていた。上履きや資料など裏手にあるようなものも散乱していた。
バイトの人(私も含めて)はとりあえず家に帰そうとの現場の判断で私は母親に車で迎えに来てもらって帰路に着いた。生きた心地がしなかった。
幸い我が家は被害を受けていなかった。とりあえず画材も服もPCも諸々無事だった。危ない危ない。

好きな人とは連絡を取り続けていた。発災当時気が動転していて、取り乱しており思わず好きだということを口滑らしてしまったわけだが、それは絶えない会話履歴で流れていった。

お風呂に入って頑張って寝ようと向こうに「おやすみ」と送ったところで待たをかけられた。ん?なにかあったっけ?そう思っていたところ、「私のことどう思っているの?」という旨のメッセージが来た。「今ここで言ったほうがいい?」と送ったところ「うん」と返ってきたので胸の内を全て話した。どういうところが好きか、そのやりとりのあと、今ここしかない、そう感じた。告白をした。いやはや、初詣で告白しようと思っていたのだがな。しかし、なるようにしかならないわけで、結果的にこうなった。向こうからは「考える時間貰っていい?」と返ってきた。いくらでも、どれだけでも考えてくれていい。私はこんな人間なのだ。向こうにはとても届かずとても不相応なのだ。それで出た答えなのなら、私はどんな返事であろうと受け入れる。ここで自分に決着をつけるつもりだ。

一晩たった。結局4時間弱の浅い睡眠(ほぼ仮眠レベル)をとっただけだった。緊張状態からいくらか落ち着いてはいたためか、さすがに疲れてきている。しかしながらなかなか気を抜けず、常に気を張っている。ほとんど常にソワソワし部屋の中を歩き回ったりしていた。平衡感覚が死んでいて常時体が揺れている。地震の揺れなのか体の揺れなのかなかなか判別がつかないのが困ったところではある。朝早く起きてしまったので暇を持て余した。予定も全部潰れたので何もすることがなかったのがしんどかった。午後はお昼ご飯を食べて片付けたあと買い出しに行った。一応食料品はいくらか残っていて、買えるものは買って帰った。尚この時も常時体は揺れており、たまに倒れ込みそうになったりもした。たまに好きな人に生存報告メッセージを送ったりした。返信が来た時の安堵は本当に大きい。心の支えになっている。初めて会った時に描いてもらった似顔絵と一緒に撮ったプリクラをお守りにしている。プリクラのうち1枚はスマホケースに突っ込んでいつでも見られるようにしている。他はジップロックにお絵かき帳と渡すはずだった年賀状などと共に入れてある。いつでも持ち出せるようにしてある。

(1.3記)昨日は泥のように眠った。緊張はいくらか慣れてきたのか解けてきていて、自然と21時くらいに眠った。起きたのは朝8時だった。久々にこんなにもぐっすり眠った気がする。今日は店へ行って片付けをせねばならない。4人で片付くのか些か疑問ではあるが、まぁ人が多いとまた揺れが来た時に混乱するし少なめの厳選した人手で片付けた方が効率的にも安全面的にもよさそうだ。もうすぐ出勤だ。また揺れが来るかもという恐怖はあるけれど、とりあえず好きな人が無事なのであれば、私はいい。どうせ普段から死に損なっているのだ。今更どうってことはない。

腹は括ったし、片付け行ってきます。
ではまた。会えたら会おう。

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