秋 18

「えらいね、がんばったね。」と言われた。本当は、偉くなんてないのにね。だって本当なら出来て当然の事をしただけだもの。他人からすれば簡単で、易々と処理出来る事なのに、私には巧く出来ない。他人からすれば難しいらしいそれは、私には少しだけ巧く出来た。そんな事が続いたから、他人と少しでも違う事が快感になっていた部分があるのかしら、と。今は同じになりたいと四苦八苦しているけれど。他人との違いというより、他人が出来なかった物事を巧くこなせたのが、幼い私には甘い快楽だったのかもしれない。そもそも、私には自信というものが欠けている。経験もさして多くはない。胸を張れるほどの努力も、酷く褒められる才もないのだ、当然ながら。その癖、少しばかり狡賢いから他人との差別化を図っては、敵わないと分かればすぐ土俵を変えて違う観点で褒められたがった。なかなかに気持ちが悪い子供だ。好意もあやふやだった。純粋な気持ちを持っていないようにさえ思えた。ただ自分が楽しいから、嬉しいから好きだと言えるものが限りなく少ない。評価を求めたい訳ではないはずなのに、それを当たり前のように求めて日常にしてしまった自分が大変憎い。他人から貰う何かに左右される幸福なんてものは、きっと偽善的だし、刹那的だ。次にいつ貰えるかも分からないのにそれを待つなんて、信頼出来る主人の居る犬くらいしかしないはずなのに、けれどもそんな状態に陥りがちで、気が付くまでにとんでもない時間が掛かる。好きなら好きと叫んで、好きなようにやれば良くて、評価なんて付随のものだと大きく構えているくらいが良いのだろうに。反対に嫌いなものは見ない方が良いし、気にするだけ無駄だけれど、熱意のある人間は顔面にクリームパイを投げ付けて来る事があるから動向にだけは気を付けるのが程よいのかな。少し、秋には重過ぎることを考えてしまった気がする。だけども、多数の人間が当然のような表情で生活出来ている事を不思議だと感じるのは、私も君も同じなんだろうか。

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