小学校高学年の話

 母が悪酔いしてはヒステリーを起こすようになる。長男と母の関係もどんどん険悪になり怒鳴り合いになることもあった。次男は学校やアルバイトを理由に家にることが少なくなった。

 母のヒスに一番つき合わされたのは多分わたしかもしれない。わたしは自室を持っておらず、母と寝室を共にしていたどころか、部屋の構造の関係、母の隣で眠っていた。寝室には小さなテレビと、灰皿と、酒が置いてあって、寝酒をしては悪酔いしヒスって呪詛を吐く母に、布団をかぶって耐えていた。

 ただ泣き喚くだけならまだしも、ひどいと悲観から激昂に変わり、2階の寝室の窓から家具家電を外に投げ散らかしたり、私たち子供に対して、産まなければよかった。育てなければよかった。父が死んだ時に捨てて仕舞えばよかった。お前たちはわたしを不幸にする。んいもかもうまく行かないのはお前たちのせいだ。そういうことをたくさん言われたし、それと同時にわたしのお陰で生活できているのだから感謝しろ、いうことを聞け、なんでいうことを聞けないんだ、ということもたくさん言われた。

 酒、タバコ、ギャンブル、男、それらでいろんなものを誤魔化している母は、この頃にはわたしの学校行事にもほとんど来なくなっていた。授業参観も、休みを取ったから行くと言っておきながら、隙間時間があるからとパチンコに赴いてそのまま来なかったり、家族で出かけたはずなのに、パチンコしてくるから好きにしてなさいと金だけ渡されて放って置かれたり。複合商業施設で、パチンコをしている母を待ちながら遊んでいたら、明らかにやばいおじさんに声をかけられ追いかけられて泣きかけたこともある。

 悪いことばかりでもなくて、母の付き合っている男にご飯に連れていってもらったり、お小遣いをもらったり、旅行に連れていってもらったこともあるし、母もアニメや漫画、映画や小説が好きだったので、そう言ったものに触れる機会をたくさん作ってもらえて、この時期は毎週末映画館に通わせてもらった。

 長男はそんな母を嫌って、アバズレ、気色悪いと言ってあまり近づかないようにしていたが、手持ちの金やタバコや酒がなくなると母からむしり取っていた。

 母がヒスると兄の機嫌も悪くなり、わたしが母の機嫌をうまく取れず母のヒスが悪化すると、わたしの聖になって兄に殴られたりした。次男も兄に殴られたりしていたようだ。わたしは女だったので手加減してもらえたし、ムカつくことに見えないところしか狙われないし。根性焼きされそうになったこともあるし、ナイフ投げの的の横に立たせられて刃物はスレスレのところに投げられたこともある。兄はわたしのお小遣いもむしり取ったし、わたしの金でタバコや酒を買わせたこともある。おかげでこの年齢でセッター、赤マル、マルメン、マイセンという言葉を覚えた。無理矢理タバコをすわされたこともある。

 母は外面だけはいいので、周りからはちょっとやんちゃな兄弟がいる、ひとり親だけどちゃんとやっている家族、そう見えるようにできていた。この世はクソだとおもった。

 小学五年生にして、初めてのリストカットと、首吊りをする。傷口は浅く後も残らなかったし、首吊りも紐がうまく結べてなくて失敗。とにかく死にたい気持ちでいっぱいだった。

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