小学校低学年の時の話2

 学校では距離を置かれていた私だけれども、家は家で息が苦しくなり始めた頃だった。

 小さい頃は兄たちのことをよくわかっていなかったが、小学校に上がって色々見えてくるものもあった。私が小学校一年の時、長兄は高校一年の年だったが、あの人は高校に進学しなかった。中学もほぼ学校に行っていなくて、問題を起こしては母は呼び出されていたようだ。そういう状況であると幼稚園に通っていた頃の私は知らず、というか理解できる年でもなかったので、母が迎えに来れないときに代わりに電車でわざわざ迎えにきてくれ、秘密だよとお菓子を分けてくれる兄のことを慕っていた。

 慕っていたはずだったが、どんどんと兄のことを嫌いになっていった。年が離れている分、どうしても兄にはついていけなくて、私がビビリなのもあっていつも脅かされて泣かされていたけど、それは仕方がないものと思っていた。でも、仕方がないことではないと、気がついたのは小学三年生くらいだったともう。それについてはおいおい語っていく。

 母からすれば、手の掛かりすぎる長子と目が離せない末子、子供としては手がかからなくとも成長期にプラスして部活を頑張っていて金銭面でかなりかかった次男、相当ストレスがかかっていたことだろう。

 ある日、勉強についていけなくなっていた私が、宿題が終わらず駄々をこねてしまった。夜の九時までに終わらせると約束していた算数の宿題がその時間になっても終わらなかったのだ。泣きながら、わからない、嫌だ嫌だと言っていた。そしたら、カッとなった母親に包丁を向けられた。ちょっとだけ値段のする三徳包丁を向けられて、そんなにいうなら家から出ていけ、約束も守れなくて、みんながやっていることすら出来ないならうちにはいらない。そういうようなことを言われたように思う。恐怖でもっと涙が出だし、出ていけなんて言われると思っていなくて、混乱しながら、謝りながら泣いた。お互い火に油を注ぐ状態になり、結果母に引き倒され玄関の外に投げ飛ばされた。ランドセルなどの私物もぶちまけられ、家の鍵を閉められた。泣いて叫んで扉を叩いても、浴びせられるのは怒声で。当時住んでいた玄関がガラスの引き戸で、玄関の中の灯りがガラス越しに玄関先を照らしてくれていたので、そのあかりを頼りに玄関前でうずくまりながら宿題をした。

 母はひとり親であることで周りに舐められたくないという人で、ひとりでもなんとかしなければいけないという気持ちも強い人だった。母の仕事は公立校の学校事務、私の通っていた小学校にも兄の通っていた中学校にも顔が効いたから、なおさら。私の評価が決して高くないこと、兄たちの評価もそこまで高くなかったことを気にしていたのだ。精神が張り詰めていたんだろうな、と今は思える。でもあの頃の私にとっては絶望でしかなかったし、いちばん最初の母親に対するトラウマかもしれない。

 私がひとりでいろんなことができるようになった結果、それがうまくできなかったとき、母からも兄からも叱責を受けるようになっていった。母の機嫌を損ねると、兄の機嫌も悪くなる。母に怒られ、母に関してのことで兄がそれで機嫌を悪くして兄からも当たられるようになった。兄に当たられ他私が泣くと、母はあにを叱るから、さらに兄から当たられる。そういうループ。そうして長兄と母は喧嘩を繰り返すようになっていったし、だんだん家庭内の雰囲気も悪くなっていった。それも相まって、私の消えたい、死にたいという気持ちは増幅していったのだ。

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