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プログラミングをすると身につく(かもしれない)指示する力

普段からプログラミングをして生計を立てている。ソースコードはシンプルであればあるほどカッコよく、バグが起きにくい。逆に冗長なソースコードはカッコ悪いしバグの温床になる。だから規模が大きくなってくると、なるべく整理整頓して、なるべく分かりやすくして、作った後で他の人にも引き継げるように書いておく。そうすると拡張性や保守性の高いソースコードが出来上がる。

プログラミングとは一言で言うと、コンピューターに対する命令の集まりである。「教養としてのプログラミング」では思ったとおりに動かず、書いたとおりに動くと書いてあったがまさにその通り。思い通りに動かないのは書いた人間の腕前が足らないからであって、コンピューターのせいではない。昔まだMacがUnixベースになる前の、デザイナーかDTP屋しか使っていなかった頃は、MacがフリーズするのはMacが悪いのではなく使い手の腕前が無いからだと皮肉気味に言われていたことがあったが、プログラミングは皮肉抜きにそうである。

これを活かして人に指示ができるようになると、とても仕事が捗る。
品質をそれほど求めないなら指示は単純で済むし、複雑なものもなるべく簡潔に、要点をまとめて伝えられるようになる。言語化が難しい時は図表や図面を活用する。そして何より、自分が欲しいものを自分で分かっている状態になる。

世の中、自分のしてほしいことを言語化できる人は意外と少ない。なんやかんや、いい感じにやってほしいという人が殆どで、そのよく分からないニュアンスを翻訳するために腐心している人も沢山知っている。自分が欲しいものも分かっておらず、ああでもないこうでもないと右往左往する。チャットだと伝わらず、会って話をしないといけない人も大抵これで、会って話をするというのは言葉で伝える以上にいろいろ情報を交わすので情報量的にはいいんだけど誤解も多いのでトラブルも多い。言語以上に曖昧なプロトコルは何かとしんどいのだ。

保育士さんの多忙さを見て、保育士を増やすのではなく雑務を外注すればいいのでは、と考えたことがあったが、そのためには指示書が書けないといけなくて、その指示書を書くスキルどうするよとなり、自分の中で発案して自分の中で没になった。

勿論プログラマーだけど上手くコードを書けない人もいて、そういう人は大抵、自分の書いたコードを自分で説明できない。まるでそれは人から教えられた訳の分からない呪文を唱えているだけで、それがどういう意味の呪文なのか分かってない感じと言えばお分かり頂けるだろうか。

AIが台頭してきて、ホワイトカラーの仕事も駆逐するようになってきたときにどんな人材が残るか。そう考えた時に僕はAIに的確に指示を下せる人が残ると考えた。多分AIが人のなんやかんやをいい感じに解釈できるようになるまでにはまだ相当の時間がかかると思われるので、まずはその辺りかと。
そういう意味では子供のプログラミング必修化も、別に全員がプログラマーを目指すわけではなくて、むしろ的確に指示する能力を育むのだと考えれば理にかなっていると思う。そこまで政府の当事者が考えているかどうかは分からないけど。

多分人のなんやかんやいい感じにを翻訳する人の仕事は無くならないと思うけど、それは高くつくサービスになってくるというか、人を仲介しないととても安くサービスが受けられるようになる。まるで保険のネット割みたいに。

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