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記憶

中学一年生。
この人がいればなんでもいい。胸が痛くて、息が苦しいくらい好き。そう思える人に出会った。
わたしの担任の先生だった。

先生はそのとき30歳で、わたしは13歳。17歳差。なんだか冴えなくて無愛想で、おまけにわたしの一番嫌いな体育の教師だった。

まだ始まったばかりの学校での生活に心を躍らせるわたしと、三学年すべての体育の授業を持っている先生は忙しく、担任とは言えどなかなか話せずにいた。

先生と話すようになったのは、部活動が始まってから。わたしは剣道部に入部し、先生はバスケットボール部の顧問をしていたため、体育館練習で隣になることは多くあった。頑張ってるの見てるよ。そんなふうに言って貰えることが嬉しくて、先生がいる時は何百倍も気合いを入れて取り組んだ。今思えば、あの頃のわたしはただ素直で、純粋だった。

先生を好きになったのはいつから?と聞かれると、すこし返事に困る。わたしの好みからは何もかもが外れているのに、気づいたら目で追っていて、好きになっていた。あのときのわたしの頭の中は先生で埋め尽くされ、何をするにも先生のことを考えていた。

わたしがわたしでなくなっていく前に、わたしを忘れてしまう前に、すべてをなかったことにするべきだと思った。ほんの少しでも理性が息をしているうちに。そう思っていたのに、頭では分かっていたのに、行動に移せないままずるずると引きずってしまっていた。

そんな毎日を過ごしているとあっという間に一年生は終わり、二年生になった。クラス替えで担任も変わればわたしも先生のことを忘れられるだろうと、安易な考えで自分を安心させていた。そんなわたしの期待は一瞬にして打ち砕かれた。二年生の担任も、変わらずわたしの大好きなあの先生だったのだ。正直なことを言えば、嬉しかった。また先生と一年を過ごせるのだと。しかしその気持ちの反面、わたしはその決定をした教師陣を心底恨み、絶望した。変われない自分が嫌で、ただの当てつけだと分かっていてもその気持ちを無くすことは到底出来なかった。

その年の六月、わたしの家庭環境は最悪だった。家に帰れば親の暴言がどの部屋にいても聞こえる。朝も夜もずっと。そんな恐怖に耐える日々。もう限界で、わたしは家に帰れなくなった。それでも夜まで学校に残ることは出来ず、わたしは完全下校の放送に見送られながら泣く泣く校舎に背を向けた。

そんな日々が続いて、本当に無理だと思った日があった。友達や教師に何を言われても、家には帰れないと。その日の放課後先生は不登校の生徒にプリントなどを届けるため、学校には居なかった。先生にだけはこんなに情けない姿を見せたくないと思っていたわたしは、その事実にどこか救われる気持ちがあった。それでもあの忌々しい完全下校時刻というものはやってくる。教師に慰めの言葉を掛けられ、校門から出る。出来るだけ遠回りをしようと、通学路とは反対の道を歩いた。そうしているうちにわたしは立ち止まって泣いてしまった。あの家へ戻るのかと思うと涙が止まらなかった。

そんなわたしの前に、見覚えのある車が一台、ハザードランプを点滅させて停まった。降りてきたのは先生だった。
「まだ居たの。帰れないの?」
わたしの顔を覗き込みながら先生が発したその声は、この世でいちばん、やさしい声だと思った。
ごめんなさい。わたしは謝ることしか出来ず、その場に立ち尽くしていた。先生は少し悩んだ顔をして、
「家の方向、こっちじゃないよね。一旦先生と学校に戻ろうか」
と、優しい声のままわたしに言った。
「先生はこの車どうにかしなきゃだから、先に歩いていいよ、ついて行くから」
そう言われ素直に学校への道を戻る。
学校に着くと先生はすぐに車を停め、再びわたしのもとへ帰ってきた。
「何があったのか、先生に話してくれる?」
わたしはその言葉通り先生に事実と気持ちを話した。先生はそのすべてをただ頷きながら聞いていた。
「そっか、それは辛いね。でももう暗いし、先生も一緒について行くから、とりあえず家の方に向かって歩いてみない?ゆっくりで大丈夫だから」
先生の声はずっと優しかった。先生の声を聞くと落ち着いて泣き止むことが出来たわたしは、その言葉に うん、と返事をして先生と家への道を歩いた。

歩いている途中で先生はわたしに、たくさんのことを話した。バスケ部の仲のいい先生たちとご飯を食べに行ったこと。先生も子どもの頃親の喧嘩に嫌な思いをしたことがあること。そのどれもがわたしの知らない先生で、なんだか苦しかったけど、先生と話せることも、まだ知らない先生の一面がたくさんあることも、幸せだった。

先生はほんとうに優しかった。半袖のわたしに、「寒くない?大丈夫?」と声を掛けてくれた。わたしが白線の中に入るように、さりげなく歩道側へ導いてくれた。わたしの歩幅に合わせて、ゆっくり歩いてくれた。そんな先生へのわたしの愛は深まるばかりだった。

永遠にこの時間が続いて欲しいと思った。先生に、わたしのことだけを考えていて欲しかった。それでも楽しい時間はあっという間に過ぎる。20分足らずで家に着いて、さようならの時間が来る。もっと一緒にいたい。そんな気持ちを見透かしたのか、家に着いても先生はしばらくわたしと話してくれた。

「高校に行ったら、何部に入りたいの?」
「写真をやりたい、綺麗な世界を撮りたい」
「そうなんだ、楽しみだね」

先生の発した言葉を一言一句は覚えていないけれど、そんな中身のうすい会話をしていた気がする。会話の内容がどうあれ、10分以上も家の前で話してくれたのは間違いなく先生の優しさで。

先生はいよいよ、わたしに「もう暗いし、帰ろうか」と言った。名残惜しい気持ちはあったが先生にこれ以上甘える訳にも、先生の優しさを無下にする訳にもいかず、渋々別れを告げた。

その日から、わたしの先生への愛は加速するばかりだった。毎日毎日、ほんとうに、先生のことだけを考えていた。
先生のことがこの世でいちばん好きだ。
そのときのわたしは確かにそう思っていた。
その気持ちが永遠に続くと信じてやまなかった。

先生がいるだけで毎日が輝いていて、楽しくて、そうしている間に一年は逃げるように終わる。そして再び、ドキドキと恐怖のクラス替えというイベントがわたしの前に立ちはだかっていた。

結論から言えば、先生はわたしの担任にはならなかった。先生は1組、わたしは2組。悔しかったし、期待している自分がいたことに腹が立った。新しい担任の先生が話している間も、隣の教室から大好きな先生の声が聞こえる。わたしの目には涙がにじんでいた。事実を事実として受け入れたくもなかったし、感情を整理出来なかった。

それからの毎日はまるで地獄のようだった。体育教師である先生は朝、給食、下校時以外は常に体育館か校庭、職員室にいるため廊下ですれ違うことすらもない。部活を既に引退したわたしは、先生とは体育の授業でしか会う機会はなくなり、学校に行くことすらも嫌になった。

時々教室を覗くと、先生はいつもたのしそうに笑っていた。大好きだった先生の笑顔さえ、なんだか嫌だと思うようになった。そんなに楽しそうな顔、わたしには見せたことないのにね。そう考えたとき、動揺なのかなんなのかわからない、わたしを蝕む感情のせいで目が泳いで、喉が急激に渇いた。
わたしが大好きだった先生の笑顔は、いつだってわたしに向けたものじゃなくて、わたしじゃない誰かに向けたものだった。
そっか、わたしは、ずっと、先生に拒絶されてたんだ。先生はずっとわたしのことが嫌いだったんだ、だからわたしが居なくて嬉しそうにしてる。いや、それすらもきっとわたしの期待なのかもしれない。先生はわたしのことなんか、考えてすらもいない。先生の中に、わたしはいない。それら全てを、そのときになってやっと、理解した。

心のどこかでは、分かっていたような気がする。ずっと、わたしが先生に拒否されていることも、何もかも。それでもわたしは自分勝手で、先生に縋り続けた。すべてが0になってしまうより、1の関係を、意味もなく続けていたかった。

ずっとずっと、誰よりも、何よりも好きだった。でもそれを理解したときには、わたしは素直に先生のことを好きだと言えなくなってしまった。そうして気づけば、わたしの中から恋というものは消えていた。

ここに書けなかった先生の好きなところ、たくさんある。完全下校時刻まで一緒にいてくれたり、わたしの読んでいた本を知ってくれていたり、わたしが一度だけ口にした、写真をやりたいということも覚えてくれていた。ほんとうに優しくて、生徒思い。

今でも時々先生のことを考える。そして、苦しくなる。だがその気持ちを恋とは呼ばない。未だにわたしが先生のことを好きなのか、それは分からないし、分かろうともしない。ただ、自分の気持ちにケリをつけようとこの文章を書いているとき、わたし自身の瘡蓋を剥がすような感覚だった。この傷を治すのには、きっと相当の時間がかかる。その上わたしはただ忘れることを待つことしか出来ない。何よりも苦痛。それでも、こんなに苦しいと思うほどの恋を出来たことは、わたしの財産になると信じている。

先生へ
たくさんの笑顔をくれて、ありがとう。でももう、終わらせるからね。忘れるから、

じゃあね。

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