T先生【エッセイ】

いつもは短い創作小説を書いている私ですが、書き始めて気づいたらもう長いこと経っていて、よくよく考えたら教壇に立つ日もそう遠くないのではないか?とか考えまして、今一度、教室に想いを馳せて、廊下側、後ろから三番目の席に着席してみようと思います。

起立 礼 お願いします

教壇に立つのはT先生。教科は国語です。
私が教員になりたい、と明確に考え始めたのは中学生のころですが、なったときのビジョンを想像するきっかけになったのは恐らく彼女との出会いでしょう。
言ってしまえば彼女は魔女のような人でした。
寒くなってくると巻き始める首元の黒いファーは首をもたげてしゃべりだしそうで、実際そうなったとしてもみんなさほど驚かなそうな、そんな感じの人でした。
彼女は毎日必ずスカート、年間でズボンをはく日は一日だけ、体育祭の日です。
わたしたちの通う女子高校のOGらしいですが、年齢は知りません。
そうして不思議なのはその風貌だけではなくて、授業もなかなか独特でした。
挨拶をすると、彼女は教室の後ろの方、いや、もっと遠くを見るような目をして、急に口を開いたかと思えば、授業とは全く関係ない話をします。

「これは私が家庭教師のアルバイトをしていた時の話ですが」

そう、語り口はたいていありきたりな話なのです。

「駅の立ち食い蕎麦を、食べたことはありますか。」
「教員採用試験の日の朝の事です。」
「最近、あそこの劇場に映画を見に行ったのですが」

はじめはみんな、何の話だときょとんとしていました。
だけど授業を重ねるごとに、生徒は期待に胸を躍らせます。
というのも、こんなに普通の導入なのに、全く中身が普通ではないのです。

家庭教師の話では、そのお家が桁違いのお金持ちで、どうやら危ない…いわゆる、そういうご家庭でした。本当のところはわからないが、そこのお嬢さんとは今でも親しくしているそうです。

教員採用試験の日の話では、彼女はスーツではなく黄色のワンピースを着ていました。
映画の話では、あまりにもつまらなくて途中からこんなにつまらない映画を見に来る人はどんな人なのかと人間観察が始まります。
他にも、金魚に心臓マッサージをした話。
誰も中身を知らない段ボールを抱えた教え子。
池から飛び出た鯉を助けた話。

彼女はそれらの話を一通りしてから、生徒の方に豪速球パスを投げます。

「…と、言う話なんですよ、高橋さん。」

…これだけ。
この、急すぎるパスを受けて高橋は全体の感想やら一言やら、もしくは話を広げたり自分の話をしたりと選択肢は色々ありますが、何らかのフィードバックをしなくてはなりません。

これを彼女は持ったクラス全てで行います。

もちろん最初は、完全に聞く側に周り楽しんでいただけの生徒はぎょっとします。
しかしその中で明らかに頭角を現す生徒が出てくる。
喋りのセンスを磨いてゆき、あるいはオチをつけ、笑いを誘う。
仮にシラケてしまった時でも、彼女が確実に救ってくれます。
今日は高橋が外しました。
シン…と静まり返った教室、3秒見つめる先生、

「それでは授業を始めます。」

ガンスルーを下したことで、クラスにドッと笑いが起き、前回の復習に入るのです。


彼女の授業前トークショーが私は大好きでした。
それはただ単に内容がちょうどよくぶっ飛んでいて面白いということもありますし、生徒側への豪速球が好きだったということでもありました。

私は1年生のときは絶好調、毎回当てられる期待のルーキーという感じでしたが、年を追うごとに、まあ色々ありまして、そこまで余裕が回らず外しまくり、ついに3年になって彼女に

「貴方は選抜メンバーからもう外します!」

とクラスの前で宣告されました。

もちろんこれが出来たのは私の通っていた学校のレベルがそこそこに高い女子校であったこと、こんなことで私が何らかの害を被る可能性が極めて低かったこと等々が前提ですが、私へ投げ続けたパスを3年間トータルで見た時に3年分のオチを作った、という所でやはり私は彼女のことが大好きでした。

時計を振り返り、思ったよりもずっと長いことトークショーを広げてしまっていたことに気づいた彼女はまた数秒黙り、スーパーウルトラ早口で前回の復習を終わらせます。
生徒は皆、その光景に笑いながらも授業にスッと頭を切り替えます。

今思えば彼女は、あの数分で(時々15分程使いましたが)国語という教科だけでは補えない力を磨いていたのかも知れません。

その場その場で切返す「話す」力、クラス全員の前で言葉を発することに対する慣れ、そこでは喋るのが苦手な生徒も得意な生徒も、確実に獲得したものがあったでしょう。

加えてそこまで時間を割いておきながら、彼女は絶対にテストまでに授業時間が足りなくなったことはありません。授業が乱雑になったこともありませんし、休み時間に授業がオーバーしたこともありません。チャイムが鳴ったらそれがどんなに山場でも絶対に授業を終える、彼女のモットーです。

先程時間を割いて生徒の力を磨いた、と言う話をしましたが、もっと言ってしまえばこのトークショーはそれだけのためではありません。
授業の導入としても確実に機能していました。
内容が関係あったかどうか、ではありません。
スイッチのオンオフを目に見える形で教師自身が表すことで、生徒も短時間に高い集中力で挑めます。

まさに完璧、彼女のトークスキルや教員としての力があっての授業でしょう。
キャラクター、導入、授業構成、話し方…全てにおいて国語教師として完璧だと思います。

全ての教員がそうすべきだ、ということではありません。私が100%そうなれるとも思いません。
高校の時何気なく受けていたあの授業がどれほど素晴らしいものであったか、今になって気づいたという話です。

さらに言えば彼女の発する言葉には誤用がないというのもかっこよかった。
難しい言葉をつらつらと並べるのではなく、高校生にわかる言葉で、的確に、分かりにくいところは補足して、正しい用法で…
当たり前のようですが意外と難しい、それは大学で講義を受けていても感じるところです。そして―

キーンコーンカーンコーン…

「あ、それでは授業を終わりにします。次回はここから。」

そう、どんなにいい所でも授業を終えるのが彼女のモットー。

彼女の魅力は語りきれない。
私は彼女のことも、彼女の授業も大好きです。
ちょっと長くなってしまいましたが、また機会があればほかの先生の授業も受けに行ってみようと思います。
高校国語の先生、T先生の授業でした。

起立 礼 ありがとうございました

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