"ポリアモリーという存在"
多数派の意見に惑わされず
自分の目の前にあること
実際に感じ取ったことを
信じていたいと思ってる
世の中にはいろんな思考があって
どれも否定をしたくないというのが
正直な気持ちです
素直に肯定できなかったとしても
否定だけはしたくない
そう思うようになったのはたぶん
自分が少数派の人間だからで
相手に理解されない、という出来事を
いろいろと経験したからだろうな
理解されたいと願ってしまっていたけど
そりゃ理解されないよ、と思っている
まだ、わかってもらいたがる自分がここにいるけど
今回は、深海菊絵さんの
「ポリアモリー 複数の愛を生きる」
を読んで感じたことを書きます
恋愛したことのない私が
ポリアモリーについて書くのも
なんだか変かなと思ったけど
変なことなんてないさ
むしろ全てが変なことだ
と言い聞かせて、書いています
数ヶ月前に初めて耳にした"ポリアモリー"
その時は「そんな言葉があるんだあ」
くらいにしか思ってなかったのだけど
最近また聞いた時に
ものすごく"ポリアモリー"が知りたくなって
本を読むことにした
ポリアモリーとは、全員合意の上で
複数の人々と関係を結ぶことだそうです
数に制限はありません
関係というのはさまざまあって
結婚、恋愛、性愛のない愛、デート……
ポリアモリストによって
そのカタチも多岐に渡るそう
世の中には
不倫、浮気、二股、など
悪とされる行為がある
人々はそれで傷付け、傷付くらしい
気持ちとしては
お母さんが私を呼ぶ時に間違えて
お姉ちゃんの名前を口にしたときのそれに
似ているのかな?と思ったりする
お母さんは私のことを愛してくれてる
それはわかっているのに
なぜか嫉妬みたいな感情が出てきてしまう
私だって
犬や猫の名前を間違えて呼ぶことがあるのに
自分のこととなるとより強く反応してしまう
不倫、浮気、二股は「そんなもんじゃないよ!」
と、どこからか声が聞こえてきそうだけど
寄り添える言葉が見つからないけど
私にとっては、そのような延長という印象
想像では得られない感情なのだと思うから
無理に何かに例える必要はないのかもしれない
ポリアモリストは
不倫、浮気、二股、など
そういうことをしているわけではない
全員に合意を得ているということは
Aさんと関係を結ぶBさん、Cさんは
AさんにOKを伝えて
複数愛を認めているということなのだ
AさんとBさんが結婚している場合もある
AさんとBさんとCさんが一緒に
同じ家で住んでいる場合もある
BさんとCさんに他の相手がいる場合もある
BさんはOKと言いつつもCさんのことは
知りたくないし会いたくないという場合もある
Dさん、Eさんを含む関係の場合もある
たくさんの愛のカタチがそこにはあって
その愛は全て本物で、誠実で、本気なのだ
とても自由で、愛の数がその分存在していて
囚われない生き方という印象を受けた
自由であるということは
自由であるために怠ってはいけない
コミュニケーションがある
相手が何を考えているのか
こういう場合どう思うのか
ひとつひとつ確認することが必須で
それを"チェックイン"と言うらしい
その言葉はなんだか好きだと思った
相手の心に入り込む"チェックイン"
ポリアモリストでなくても
とても大切なコミュニケーションだと思う
"チェックイン"したうえで
どう愛情表現していくのかが重要なんじゃないかな
自由でいるからこそ、しっかりと愛を伝える
一対一でなければいけない
というのは法律で決められている
何人もの人と結婚できる仕組みがないから
そういうことなんだと思う
結婚制度については
今のところ必要性を感じていない私なので
結婚、という言葉自体に違和を感じているけれど
それは追々、別記事で書くかもしれない
所有するとか独占するとか
そういうのにはピンとこないのが私の意見
一番でいたい、特別でいたい
自分だけのあなたでいてほしい
そういう心理が多数派なのは理解できる
そして現時点で確実に言えるのは
そういう心理があるかどうかはわからないけど
自分は"モノガミー"だということ
"モノガミー"は一対一の関係を言う
まだ出会ってないだけなのかもしれないし
そうなってみないとわからないけど
ポリアモリストたちにも嫉妬心はあって
嫉妬とどう向き合うか、について
悩み、話し合うことが多々あるそう
それでも"ポリアモリー"を実践する意味とは?
出会いを大切にしたい、愛は減るものではない、
さまざまな理由が、ポリアモリストにはある
"ポリファミリー"として家事や育児を分担し
支え合うポリアモリストたちがいるらしい
家族として支え合う複数愛がそこにはある
大切な人の大切な人は自分にとっても大切だ
というのは、とても納得できる
"ポリアモリー"を実践するということは
相手を傷付けること、自分が傷付くことを
あらかじめ決められている中で
愛を繋げ続けていくようだと感じた
その覚悟があるのか
自己コントロールができるのか
もし自分はモノガミーで相手がポリアモリー
だったとして、向き合い続けることができるのか
度々傷付くだろう自分の心は
果たして健やかに保たれるのか
受け入れ続けることができるのか
想像なんてできない世界だと思う
だけどポリアモリストの生き方は
やさしく守られていてほしい
この世界を豊かに生きるために
自分を幸せにできるのは自分だけだから
この街のどこかでポリアモリストに出会ったら
私はきっと、興味深く話を聞くと思う
もしその相手が大切な人だったら尚更
深く強く"ポリアモリー"について
理解しようと努力すると思う
その先は未知でしかない
ただ、今この瞬間に私が感じていることは
そういうこと、それだけです
この随筆を投稿し終えた時にはすでに
違う考えが浮かんでいるかもしれない
そんな儚さと共に
私は愛と向き合い、生き続けたいです