巨人の肩はいま
⚠️本noteは過去のコンサートの振り返りが中心(しかも私的)であり、トータルで3800字の記述ですので、そちらを承知いただける場合のみご高覧いただけましたら幸いです。
関東甲信などにおいて気象観測史上記録的な短さで2022年の梅雨が幕を下ろした。この夏以降の生命の営みへの影響が大きくないことを願う。
さてこのnoteでは一年前の夏に紀尾井ホールにて開催された角野隼斗氏のオール・ショパン・プログラムを私的に振り返り、このコンサート以降の今日までの氏の活動に関しても少し記しておきたい。
なぜ今一年前のコンサートを?とお思いの方もいらっしゃるだろう。その点において補足を少しだけすると、このコンサートで、手前は角野氏の生の音に初めて触れ、あるいは初めて「ピアノの音」というものに触れ、更には初めて「音楽」というものを耳で聴き、肌で感じたような、大袈裟に響くかもしれないが例えるならばそのくらいのインパクトを受けた個人的に思い入れのあるコンサートだったからだ。氏から放たれる波動のあまりの衝撃に、享受した音の歓びを咀嚼、消化するのに一年かかった(苦笑)。
前置きが長くなったが...あの日も丁度夏らしい日差しが照りつけており、手前は夏服に身を包んで四谷を目指した。駅前を上智大学沿いに緑の中を数分歩くと到着したホールは、5年にわたる名ホールの研究の元に作られたシューボックス型の設計で木の温もりに溢れており、雪の結晶を表現したシャンデリアも空間をゴージャスに演出し、コンサートへの期待を十分に高めてくれた。着席するとそこはステージから近からず遠からずの場所で、ピアノの反響板とプログラムを交互に眺めながら何年ぶりかも思い出せない久しぶりのクラシックのコンサートの開会を待った。
角野氏の音楽の音源といえば、普段の生活の中ではCDやYouTubeを聴くのが主体であったが、聴くほどに「これは生の音を必ず聴かなくては」と思っていたので、この時のコンサートの知らせは渡りに船であった。(もちろん生音にも配信にも、それぞれの良さがある)
緊急事態宣言も解除され、おそらく角野氏本人も、そしてあの日会場に足を運んでいたファンたちも、リアルでのコンサートは待ちに待っていたに違いない。
開演時間になると割れんばかりの拍手が角野氏を迎えた。角野印のショパンがいよいよ鳴らされる。(プログラムは以下のリンクを参照されたい)
https://twitter.com/880hz_staff/status/1403251973801930753?s=20&t=y7fRJ9Y6l9GAoRSYXAvgSQ
冒頭の演奏はホールの静寂をも音楽の一部にして丁寧に真摯に、そして誠実に奏でられたマズルカ。舞曲でありながら様々な心象風景が曲に織り込まれており、その物語がピアノから一音ずつ立ち上がってショパンの世界に引き込まれる。(のちに放送された情熱大陸にて、氏はマズルカに苦戦している様であったがコンクールの予備予選、セミファイナルを経て、自身が「昇華」と称した国際フォーラムでの演奏までを一連で聴いてきたが、演奏を重ねるごとにマズルカの、そしてショパンの魂の真髄へ迫っているように見えた。)次いで演奏された「木枯らし」。YouTube上にアップされている動画をあらかじめ何度も視聴していたので、前奏明けのファの音の打鍵の鋭さには覚悟していたが、いざ演奏が始まるとその波紋が可視化できるのではないか、というほどの激しい音の嵐。眼前に迫り続けてくる鮮明な音のうねりが直接脳まで響く。曲が終わる頃には涙が止まらなくなっていた。次いでピアノから鳴らされたのはソナタ2番の劇的なグラーヴェの主題。この日一番注目していた一曲。この日のソナタの演奏を聴いて「私は初めて音楽というものに今日触れたのかもしれない」と思った。そして「ピアノがこんなに鳴る楽器だとは知らなかった」とも。ピアノリサイタル、なるものに何度も足を運んだことはあったし、ホールや楽器、天候といった条件が色々あったのかもしれないが、それでも角野氏の音はそれまで手前が聴いてきた「聴いたことのあるピアノの音」とは決定的に違っていた。そしてその違いを探り当てるために氏のコンサートには事情が許す限りなるべく足を運ぼうと思った。完全にショパンの音楽の世界に連れて行かれてしまって、どうやって現実に戻ればいいのかを見失っていたら流れてきたスケルツォ3番の眩いすだれ。ホール天井の雪の結晶を模したシャンデリアもかすんでしまうほどの音の煌めき。もうここまでくると完全に思考停止。自分がどこにいて、目の前で何が起きているのかもわからない。頭も体もずっとフリーズ状態。
休憩をはさんで第二部。最初の登場から比べるとずっと和やかな雰囲気で角野氏が再度登場。プログラムにはマズルカ風ロンドの文字。しかし聞こえて来たのは慣れ親しんだノクターン第2番のフレーズ。それもクラシックのタッチとは趣が違う。ノクターンをベースに鍵盤で遊びだす角野氏。ジャジーなアレンジのノクターンと、後に続くMCでようやっと迷子の状態から正気を取り戻す。「後半はユーモラス」との解説の通り、舞曲が多めのプログラム。しかもコンサートのフィナーレは大好きな英雄ポロネーズ。無条件で期待が最大限に高まる。マズルカ風ロンドの持つ華やかさ、朗らかさ、幸福感のようなものが、鍵盤と一体となった角野氏の指先から水晶のような透明度で届けられる。同じヘ長調でも趣を異にするのがバラード第2番。こちらはシンプルで穏やかな序奏の後狂気の渦を起こし、ショパンの感情の激しい「動」の部分を切実に映し出しているかのよう。マズルカ風〜にしても、バラード2番にしても、そしてのちに国際フォーラムで演奏したガーシュウィンのピアノ協奏曲へ調にしても、個人的にこのFというキーと角野氏は非常に相性が良いと感じている。次いで軽快でエレガントなワルツ第1番。マズルカ風〜からこの曲まで怒涛の同音連打が続くが、全く諄くなくショパンの「陽」の部分を存分に味わうことができた。(バラードで「隠」を挟むことでプログラムに陰影が生まれていた)そして待ち侘びた英雄ポロネーズ。アルバムを購入し、その音源を聴いてから虜になり毎日ヘビロテしていた角野氏の英雄だ。個人的にテンションを上げたい時の応援曲にしていたので、イントロから全身を鼓膜にしてその音を受け止める。おそらく自身が得意としている曲だけありやはり期待を裏切らない。最後の一音の残響が消えるタイミングの一拍後にこの日最大級の拍手で氏に感謝を表した。
終演後のアンコールはなんと2曲。拍手喝采の中角野氏が再度ステージに登場し、すぐに弾き始めたのはエチュード10−1。休憩があったとはいえかなりハードなプログラムを終えたにも関わらず澄み切った清流を会場に流し込んでくれた。アンコール2曲目は子犬のワルツのアレンジバージョン。氏のオリジナル曲大猫のワルツも織り込まれ会場からも歓喜の拍手。子犬のような短い曲の中でもあらゆる音色をリズムを自在に使い分ける。
アンコールの曲間に角野氏は「巨人の肩の上に立つ」という、よくアカデミアの世界で使われるという言葉を紹介してくれた。先人たちの積み上げて来たもの(巨人)の上にほんの少し自分ができることを積み上げる、ということだそう。そしてそれはアカデミアであっても音楽であっても一緒だ、と。同時に巨人の肩までの際限のない音楽の旅路を歩む覚悟のようなものを言葉にしており、ワルシャワへと旅立ったのであった。
その後の角野氏のご活躍は周知の事実だが、コンクール後のフランチェスコ・トリスターノ氏やハニャ・ラニ氏との出会い(トリスターノ氏とは今秋の共演を予定、ラニ氏とは昨年のパリの彼女のステージに飛び入り参加を果たしている。)は角野氏にとって大きな意味をもたらしたろう。他にもクラシックでは昨夏から数えても、チャイコフスキー、ショパン、ガーシュウィン、ラフマニノフ、バルトーク、ラヴェル(それも全てコンチェルト)と、その多彩なレパートリーには目を見張るものがある。( n回目の確認ですが、角野さんって本当にお一人なんですよね...)
他ジャンルでは自身が所属するバンドPenthouse、ピアソラ生誕100周年記念コンサート、WONK's Playhouse、水野蒼生氏主催のAn Encounter At The Opera、”親友”のソングライター映秀。氏等々のライブ活動、他にも上白石萌音氏やmilet氏ともコラボ。Singsジブリではチャラン・ポ・ランタン小春先生から購入、レッスンを受けたアコーディオンを披露したとも現地で鑑賞したファンの方のコンレポで拝見している。今年の国際ジャズデーではエリック・ミヤシロ氏率いるビッグバンドにゲスト出演、黒田卓也氏のステージには飛び入り参加。フェス系イベントでは日比谷音楽祭、フジロック、大阪ジャイガ、8月にはドイツでのアニメフェスへの出演…(あの本当に角野さんってお一人...以下略)
このように生のステージを列挙しただけでもこれほど多岐にわたるジャンルでの活躍を一人のアーティストが実現していて、そしてそれを同時代でリアルタイムに見届けることが出来ることは何と言う奇跡だろうか。
2021年の6月25日にショパンコンクールの予行演習のステージに立っていたあの青年は、2022年の同日にはハンガリーの首都ブダペストにてラフマニノフを奏でていた。
角野さん、巨人の肩はいま、どこに見えていますか?
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