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56. アバターさん


朝の片づけをしている際に、今朝、友人が夢に出てきたことを思い出した。
ストーリーは何一つ覚えてないんだけど、その場に彼女が居てくれることで
安心しきっていたことだけを覚えていた。
キッチンで作業をしている時に差し込まれることってスルーしちゃいけない
ことが多いから、何かのサインなのか、呼ばれているのか呼んでいるのかを探ってみたけど、そもそも夢のストーリーすら覚えていないのだから探りようもないじゃんか‥となかったことにしようとした時、彼女に事實だけを メールすれば良いように思えてきて<ストーリーは覚えてないけど夢の中にあなたが出てきてとても安心した。いつもありがとう。>と送ったら、

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多忙を極める人だから返事は無くても良いと思っていたら、思いの外、早く返事が来た。
こういうことなのだ。
アレ?と自分の中で引っ掛かったことはアクションするに限る。
これを繰り返すことで獲得するものがある。
返信の中に、当時よく訪れた店舗の季節商品についての情報も入っており、
それもまた氣になっていた所だったのでお見事。

知的で温厚な皆さんと交わることがめっきり減ったら良し悪しは別として、怒りと共に生まれてきた自分が復活‥ぃゃ逆戻りか?ww
飽きちゃってるからこそ、やり切りたいみたいだから怒りのアバター全うしてくださいなってどこか他人事だったりもして、そんなアバターさん、今日は珍しく外に出たいようなのでノーマスクで川沿いプラリとしてきます。

と、こちらからの更なる返信で近況を伝えた。

アバターさん!

ををっ?!
なんかイイかも。
奇跡の道の学びを共にしてきた彼女とは、思考や感情のエゴを自我と呼び、それについての学び具合を確認するかのようによく語り合っていたのだけれど、そのように訳されていたから自我という言葉がしっくりこなくても何とか飲み込もうとしてきたのだけれど、自我なる言葉はいまだ、喉に引っ掛かるような違和感があったのだけれど、アバターさん、イイ!
アウトプットしたことが自分に響くという場面も、この世界の醍醐味だ。
誰かと過ごし、話すことの本当の意味は、ここにあると思っている。
世界が自分のためにあるというのもここにつながっている。

それじゃ、アバターさん、お散歩行きましょうか。
また、ボラの群れに会えるかな?
野鳥たちにも会いたいねー。
ぁぁ、でもお散歩に行きたくなったのは風が呼んだからのようよ?
風は何を伝えてくるのかな? 聞き取れたら嬉しいねー。


自分の単純さをわかってはいたけど、自我だと、エヘン虫のようなトゲトゲしてベッタリとした粘り氣のある癌細胞のようなイメージで徹底的に叩き潰したいくらいだったのに、アバターさんになったら透明のAIのような印象に変わって、とりあえず隣にいるくらいは不快じゃなくなった。

言葉は、時として我々から自由を奪う枠となる側面を持ってはいるが、聖霊は、それもまたシレッと利用してイイ塩梅にパスしてくれるのだ。

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