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彼女が笑った雨の日

雨だ。先月、雨がひどく降った日、とある集まりから帰るバス停で、顔を見知った人と一緒になった。知り合いは車いすユーザーなので、雨が降ったらここをカバーしてとか、荷物を短く括りつけてとか、いろいろ大変だ。世間話をしながら簡単な手伝いをしてバスを待った。若いのにしっかりしていて爽やかで、きれいに笑う彼女とは、世間話以上のことを話したことがないけど、世間話がいつも楽しい。

定刻より遅れてバスが来て、運転手さんが車いすスペースの席に座っている人たちに移動をお願いしつつ、スロープを出してくれた。乗車の手伝いもしてくれるというので、わたしは車内へ。スロープを出した後の収納扉を運転手さんがいったん閉めたけど、すぐビロンと開いてきたので、運転手さんが乗車サポートをしている間、わたしはなんの気なしにフック的な紐を引っかけて閉めてみた。引っかけない限り閉めても扉は開いてくる仕様あるいは故障らしかった。

彼女の車いすがスロープを登り、さっきの扉のそばに来た。彼女は車いすを器用に小回りさせて向きや位置を整えている。運転手さんがスロープを手に持って戻ってきて収納扉を開こうとした。紐がかかっているので外さないと開かない。あ、と思ったとき、気づいた彼はひと息に言った。

「お気持ちありがたいんですけどいちいち閉めていただかなくて結構ですので!」

まったく、ありがたそうではなかった。すみませんでした、と謝る自分の声が声からもうどんくさい。たいした手伝いもできないくせに余計なことだけしたと思って恥ずかしかった。運転手さんが乗客全員へバスが遅れていることをわび、バスは走り始めた。

雨なので車内は軽く混んでいた。途中、目の前の席が空いたけど、なんとなく空いたままにしておくと他の人が座り、しばらくしてヨロヨロとした足取りで誰かが乗ってきて、座っていた人が譲った。新しく座った人からはツンと酸っぱい臭いがしたので、そっと離れた。

ホームレスらしいその人は譲ってくれた女性にお礼を言わずに座り、座ってすぐ、反対側の車いすスペースを、というか私の知り合いをジッと凝視し始めた。視線を感じても車いすの向きや体の都合で振り向くことができない彼女のことを、とにかく無遠慮に見続けていた。何と言って止めればいいか分からず、私は意趣返しのつもりでその男を見て、ずっと見た。男は離れた位置からおばさんに見られたところでどうともないようで、終点まで一度もこっちを振り向かずに彼女を凝視する楽しみにふけっていた。

車内では途中、何度も「車通りの関係でバス遅れましてすみません」と運転手さんからアナウンスがあった。バスが遅れていることに関して、ここまでの回数は聞いたことがないというほど頻繁なアナウンスだった。ただでさえ遅れていたバスが、車いす対応でさらに遅れたわけだが、彼女への配慮から後半には触れないでおく――それはそうするしかないに違いないのに、わたしはなぜかそのアナウンスにヒロイックな気分があるように感じてムカムカした。同属嫌悪なのだろうか、彼がさっき怒鳴ったのも。ふと、そう思った。

終点でバスを先に降りてその場で彼女を待ち、傘を車いすに差しかけて、彼女の目的地まで一緒に歩いた。バス停からすぐなのに「ありがとうございます」「本当にご親切に」と何度も言ってくれるので「そんなに言わないでください」「すぐだし」「わたし帰るだけだから」など言い訳のようになっていって「わたしなんか余計なことばっかりして」と一度、口をついて出た。

彼女はすぐになんのことか分かって「あんなにキツい言い方をしなくてもいいのになと思いました」と言った。「閉じてあったほうが、わたしはありがたかったんです」とも言ってくれ、そしてずっと笑っていた。

わたしには恥ずかしかったり悔しかったり苛立たしかったりする雨の日だったけど、彼女にはこれが日常だということ。それに、彼女の目はなんでも見ているのであり、耳はなんでも聞いているということ。バス乗車時にやることが多くて忙しくても、視線があまり自由にならなくても。聞いたり見たりしないほうが楽なことがあったとしてもそれも全て。彼女が笑って、それでもう、そういうことが全部わたしに分かった。

「じゃあまた」「風邪ひかないでください」と言い合って別れ、帰ってお風呂に入り、夕方なのにちょっと寝た。その間ずっと、彼女はあの建物で仕事をしていただろう。“障害があるのに”すごいとか、そういう持ち上げを全然したいと思っていない。もしそう読めたら、それはわたしが悪い。わたしはただ、この本当にゆるく地獄みたいなこの嫌になる世界で、尊敬する人がひとり、あの雨の日に増えた。それをちょっと言いたかった。

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