よんでほしいりょうた

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最近の記事

悩みのステージ3

パワハラ相談してた時、感じたのは自分の小ささ。 他の人はもっと高度な悩み。 もっとお金がかかったプロジェクトや子供の体調、家庭の円満などなど。 それに対して自分はなことで悩んでいる。 いじめ相談なんかも同じだと思う。 いじめられてる自分という認識が本人的にはダサく感じる。 パワハラ相談ではなくもっと大変なこと、それこそスケールが大きいで悩んでる人がいるのに自分はなんて小さい男なんだろう。

    • 悩みのステージ2

      カリスマ婚活コンサルいわく、男女で悩みのステージが違うらしい。 例えるならば運動音痴で悩むのと部活の試合でヒットが打てない、みたいなかんじ。 運動音痴の人もスポーツ特待生もどちらも悩んでる。 多分こころはみんな同じなんだと思った。

      • 音程

        実はこのわたし、中学の頃まで音程という概念を知らなかったのだ。 昔から声量はあるのに音程がズレてるから合唱の際はネタにされていた。 だがわたしはどこに変なところがあるのか皆目検討がつかなかった。 そんな中学生のころ、何故かわたしは目立ちたかったから合唱コンクールの指揮者をやった。 学祭レベル指揮者はかんたんだから体の大きいやつが向いてるとの声もわたしを後押ししたのだろう。 指揮がズレてる。 ??? やはり言われたこのセリフ。 どこをどうすれば指揮が合うのか皆目検討

        • 音読

          文字を読む。 読み書き算術と言われるように頭の三大栄養素みたいな立ち位置の筆頭。 その中でも読みはやはり筆頭。 どんな学問も文字を読むことから始まる。 わたしは子供の頃文字がろくに書けないのと引き算が出来なかった。 だがなぜか音読だけはできた。 書けず引かずだが文字だけがわたしをつなぎ止めていたのかもしれない。

          悩みのステージ

          という表現を見て悲しくなった。 運動ができない人は体育の時間か悩ましいのに対し、スポーツ特待生は試合で打率が残せないという悩み。 体育が嫌という悩みよりヒットが打てないという悩みの方が上って考え。 俺が見かけたフレーズは、「出会えない、やれない」と悩む男と「理想の相手と一緒にならない」と悩む女。 悩みにステージってあるのだろうか?

          目に見えないところ

          痒いところに手が届く。 すごく気が利く人間に対して使われる言葉で、同時にわたしには縁のない言葉である。 だが時たま痒くもないところを引っ掻きまわしてくれる人もいる。 こういうのってたくさんの引っ掻きまわしから孫の手の如くの手が届くが生まれているのかと思うと、引っ掻きまわしも愛らしく見えてくるだろう。 だがしかし、その背中には真っ赤なおできがあったりするものだから引っ掻きまわしに対して青い顔をするしかなくなるのだろう。

          目に見えないところ

          こわいはなし

          わたしが小学生の頃は怪談ブームだった。 大人たちは皆子供たちに「こわい話して!」とせがませる。 子供が大人に怖いのを求めるという珍奇な姿がいたるところで。 そんな時代がありました。 わたしが小学生の頃の林間学校。 肝試しとかいう嫌いな人にとっては嫌がらせでしかないイベントがあった。 この肝試しを盛り上げるため、肝試し前に教頭先生による怪談タイムが設けられた。 教頭先生の怪談はだいたいこんな話。 大正12年。 とある学校の音楽室にはピアノが好きだった女の子がいた。 そ

          タピオカミルクティー

          タピオカ粉って芋らしい。 インスタ映え間違いなしのげきえもドリンクだ。 芋もずいぶん出世したものだ。 遠い目をしている干し芋が目に浮かぶ。 同じ芋でも見せ方が違うだけでこんなに変わってくるとは。 胃に入れば同じくなのに、芋という見た目がダメなのだろうか。 同じようなことが麦でも言えるかもしれない。 小麦粉になってパンになれば煌びやかな姿を取れるが、そのままならば雑穀。 戦時中の匂いすら感じる。 そんなこと言えば干し芋はさらにそう。 生まれたままの姿では尖ったものも、

          タピオカミルクティー

          ふいなゾロ目

          こういうの出た時ってどう思う? ラッキーって人も、運を使ってしまったって人も、縁起が悪い数字って思う人もいるだろう。 どうしてもわたしは数字の並びを眺めると色んなごろを合わせてしまう。 13番なんかはすぐにTOTOの便器を想像してしまうし、12番なんかは中島みゆきの糸が流れてくるし、14番はハゲたサイヤ人の顔はどんなんだっけってモノローグが入ってしまう。 大人になったいまですらぼけっとそんなことを考えるわけなので、子供の頃のわたしはさぞかし授業を聞いてない子供だったの

          無人

          ららら無人くん ららら無人くん ららら無人くん 無人駅をすぎる時、昔聞いたサラ金のコマーシャルを思いだした。 おどおどと、周りの目を気にしながら入る雑居ビル。 部屋に入るとエアコンの駆動音のみが耳にとどく。 恐る恐る銀行のATMみたいなのにカードを入れるとマジで現金が出てくる。 打ち手の小槌という恐ろしすぎるイメージが浮かんできたが、すぐに我に返る。 コイツは病原菌みたいなもの。 ほっておけばどんどん増えていく。 遅効性の毒を毒とわかっていながら飲み干すようだ。

          王様の耳はロバの耳

          髪を切っていたら目に入るのはロバの耳が生えた王様。 猫耳ならともかくロバ耳とはまるで萌えん。 きっとそう思っただろう。 かの王様のズレたセンス。 我が心のうちにとどめるわけにはいかぬ。 抱えていると、彼の中の王様はロバの耳からロバの頭に、そしてロバそのものになら変わるくらい思い込みは強くなる一方。 だから洞穴に向かって叫んだ、というお話。 実際は誰もいない穴に向かって叫んでもどうにもならないから、ロバ穴は聞いてくれる人の喩えだと思う。 ロバ穴は素晴らしい。 人に言え

          王様の耳はロバの耳

          トボガン

          トボガンとはペンギンが腹這いで滑る行動のこと。 つー、つっつー と ペンギンが一様にスワンボート形態に変形するところは誰もが見たことがあるだろう。 そう、トボガン。 わたしは思う。 別にトボガンでなくても良いのにと。 ペンギンの愛らしいイメージが、トボガンというとぼけてるのかマッチョなのかよくわからない響きで命名されているのがどこか気になるのだ。 ボガンってなんだボガンって? 鬱蒼とした針葉樹林の中で獲物を屠る狩人を連想させる。 トボガンは辞めだ。 今日からは

          人を見るには靴を見る

          ナナメ。 カカトがナナメなことに注目だ。 スカートならばパンツが丸見えなくらいに常にガニマタ歩行。 漫画肉を連想される二つの太ももは擦れ合うことを避けようと外へ、外へ。 たまに靴を振ると、カラカラカラカラ、と軽い音がする時がある。 靴のカカト部分が空洞構造になっているのはご存知だろうか。 まず、ガニ股歩行者が靴を擦り減らすと靴のカカト部分が無くなり、したの空洞構造がこんにちはする。 さらにすり減ると言っても全てからなくなるわけではなく、カカト部分に小さな穴が空き

          人を見るには靴を見る

          土曜の現場

          ごーへい ごーへい スラ、スラ、スラ ごーへい とはgoahead(ゴーアヘッド)の略で「クレーンをあげてくださいお願いします」という意味で スラ とはslack away (スラックアウエイ)の略で「クレーン巻下げてくださいなんでもしますから」という意味。 このノートを見た人はこれから、ゲーセンのクレーンゲームの際に「ごーへい、スラスラ」って言えるようになるとわたしが読者認定します。 ごーへい流行らせよう。 現場って色んな音がする。 今のはクレーン作業の時の掛け

          人と言う字は

          現場勤務俺。 同期くんが俺の現場の書類を手伝ってくれてむせび泣く。 どうも人員が浮いている模様なので、後輩の育成がてら手伝ってくれるとのこと。 聞いた瞬間、脳内は浅草サンバカーニバル。 シャカシャカふりふり。 もう、なんでも頼みも聞いてあげたい。 現場仕事は良い。 手を貸すことにみんな躊躇いがない。 現場での恩は一生の恩。 現場での人生は恩ザLIFEなのだ。 そういえば俺は昔中二病だった。 二十の頃発症した。 遅効性の中2病。 誰も彼もが敵ばっかりというひね

          相手も同じ人間なんだから

          よくスポーツ漫画だとこのセリフの後に弱小校は惨敗を喫する。 そもそも相手も同じ人間なんだから、という時点で相手は自分らと全く違う生き物だと思っているのは疑いない。 10代の頃には感じたことがあるだろう。 テレビで活躍する同年代の人間を見た瞬間に。 甲子園で活躍するエースは同じ人間でなく、テレビの子役も同じ人間でもなく、学年一位の彼彼女も同じ人間ではない。 世の中同じ人間でないものばかり。 んなわけない。 それはもはやこんなこと考えてる本人が1番人間ではないのではない

          相手も同じ人間なんだから